第十回

第4章 パットナムにおける実証分析の再検討

1 パットナムが行なった実証分析の方法に対する評価

 ここで具体的にデータを使った実証分析に入る前に、まずパットナムの研究の枠組み、とりわけその方法論を検討する。そのためにパットナムが行ったソーシャル・キャピタルの代表的な研究書であるMaking Democracy Work(邦訳『哲学する民主主義』)の内容を簡単にまとめ、その後に研究枠組み・方法について検討を加えてみたい。ここでパットナムの研究を検討する理由としては、本稿、とりわけ次章以降で行うソーシャル・キャピタルの実証分析がパットナムの行った研究方法に大きく負う形で進められるからである。そしてBowling Aloneにつながっていくパットナムのソーシャル・キャピタル研究の基本的な枠組みがこのMaking Democracy Workでより先鋭な形で提示されていると考えるからである。したがって実証分析に入る前に、Making Democracy Workをもとに研究の枠組みについて検討をおこない、そしてBowling Aloneを参照しつつ実証分析で検証する仮説を導き出すことを本章の目的とする。

 まずMaking Democracy Workを簡単にまとめておくと、この研究書では制度が変わるプロセスを記述する中で(第2章*1)、同じ制度にも関わらずパフォーマンスに違いが生じてきたことを様々な指標から測定する(第3章)。そして説明変数として経済変数と市民共同体指数の2つを仮定し、後者の説明力を主張する(第4章)。その市民度の違いについて歴史的に考察を加えた後(第5章)、市民共同体度をよりミクロな視点で精緻に説明するため「社会資本」という概念を導入し、ゲーム理論や制度論(制度による取引費用削減、制度の歴史的経路依存性)の知見を借り、理論的に裏付ける(第6章)。
 このようにMaking Democracy Workでは、イタリアでの20年にわたる経験的方法により、制度パフォーマンス、民主主義の質といった理論的な問いに対し答えを出すものという研究の目的を達成するため、各章で小さな問いと答えを引き継ぎ、最終的に「社会資本」という大きな答えを出す。その点で、学術的な論文のスタイルの模範として非常に整ったものとなっている。
 Making Democracy Workの方法上の特徴としては、様々な方法を用いていることが挙げられる。パットナム自身が「賢い投資家と同様に、思慮深い社会科学者も、単独の道具がなんであれ、その長所を伸ばし短所を補うためには、多様な手法に依らねばならない」(Putnam 1993=2001: 16)と述べているように、数量的な分析を中心的な方法としながらも、面接調査、歴史分析と多様な方法を組み合わせている。
 具体的にパットナムの方法を述べると、制度パフォーマンスを説明する方法については、従来の社会科学では、1.制度デザインを強調するもの、2.社会経済的要素を強調するもの、3.社会文化的要素を強調するものの3つの方法があったとパットナムは述べる(Putnam 1993=2001: 12-15)。そしてMaking Democracy Workでは、上記のような方法をどれか一つ選んで分析するのではなく、計量分析や歴史分析、事例分析など多様な手法を用いつつ、「強力で、応答的で、実行ある代議制度を創出する条件とはいかなるものなのか」(Putnam 1993=2001: 7)という問いに答えを出そうとする。そうした様々な方法を使って研究することを可能ならしめたのは、20年という長期にもおよぶパットナムのイタリア調査がまず指摘できるだろう。
 だが、そうした多用な方法の組み合わせに加えて、もう一つ方法論として指摘できることがある。それはこのような定量的分析、定性的調査、歴史的実証分析の背景には、パットナムが長年行ってきた政治哲学研究や比較政治研究があるということである*2。先ほど述べたようにMaking Democracy Workの特徴としては定量的な分析を中心とする緻密な実証分析がまず挙げられるのだが、Making Democracy Workの第4章でのマキャベリトクヴィル、ウォルツァーらに対する言及にみられるように、共和主義、コミュニタリアニズム、新しい市民社会論という英米圏における社会哲学に対する考察がMaking Democracy Workのいたるところに見られるということも特徴として挙げねばならないだろう。つまり多様な実証分析の背後にある、こうした社会哲学的背景こそが実証分析に深みを持たせているのだ。

 さらに研究に対する視野に関しては、政治学という自らが専門とするディシプリンのみならず、経済学、社会学やその他の隣接ディシプリンにまで及ぶ広範な理解が「Social Capital」という概念に結実していることも指摘できる*3。このことは近年のソーシャル・キャピタルに対する関心の高まりを支える理由の1つであり、開発経済やロシア金融危機などの事例で、先進国でうまく働いている民主主義や市場メカニズムという制度がなぜうまく働かないのかをきちんと説明したいという背景議論と結びついたといえる。各分野での問題意識から結果としてフォーマルな制度を支えるインフォーマルなルール・行動様式に関心の焦点が向けられ、「制度パフォーマンスに寄与するソーシャル・キャピタル」は注目を集めたのである。
 そのように広範でかつ深い考察からなるMaking Democracy Workはアメリカでのソーシャル・キャピタル研究をあらわしたBowling Aloneにつながっていき、パットナムの研究は結果としてアカデミズム内外で様々な議論や批判を喚起した。とりわけ「制度」や「市民性」という抽象的な概念を数量化したことは、議論や批判を呼び起こした。たしかに数量化そのもの、数量化の方法に対する批判はあるものの、しかし「制度」や「市民性」という抽象的な概念を巡る是非について、数量化によって反証可能性が担保されたことに肯定的な評価を与えたい*4。具体的に考察すると、パットナムは、政治学において基本的な問題として「統治するのはだれか」「どれほどよく統治するか」の2つの問題があり、前者はここ数十年政治学の問題となったが、後者は価値自由で「客観的な」社会科学では分析されてこなかったと述べている。パットナムは後者の問題を扱うために実証的な手法に重きを置いたのであり、そのことで統治の程度を測ること・反証可能なことになった。それには肯定的な評価を与えたいと思う。
 ここまでの議論をまとめるとパットナムの実証分析の背景には、社会科学の理論に対する理解、社会哲学への考察が、および政治学にとどまらない学際性があるといえる。単に数理的な実証分析なのではなく、理論に対する深い理解や広い学際性が総合され、実証分析として結実したのがMaking Democracy Workなのである*5

*1:以下の第2章、第3章、第4章、第5章、第6章というのはMaking Democracy Workでの章立てである。

*2:パットナムの研究生活はイギリスとイタリアにおける政治エリートの思想を比較分析することから始まった。

*3:パットナム自身やパットナムが依拠するジェームズ・コールマンにはゲーム理論に基づく公共選択理論(Public Choice)の影響が大きい。公共選択理論は経済学にとどまらず、政治学社会学にも影響したため、パットナムの学際性の一端は彼自身の知的志向のみならず、公共選択理論の志向性のためもあるだろう。

*4:坂本治也もパットナムの社会資本論が政治理論として与えた意義として、数量化によって理論が「神々の闘争」に陥らずに済んだ点を挙げている(坂本 2003)。

*5:だがBowling Aloneでは、アメリカでのソーシャル・キャピタルの衰退を示すために、インタビューによる定性分析や歴史分析によるアプローチは見られず、もっぱら計量的分析による実証に傾いていった(Putnam 2000)。