第二回


序章 本研究の視座

1 問題意識と「問い」の設定

 近年マスメディアを中心に、少年犯罪の「凶悪化」や刑法犯認知件数の「急増」が叫ばれている。実際に内閣府の「社会意識に関する世論調査 *1」では今の日本で悪化している分野として「治安」を上げる人が47.9%に達し、98年12月の調査開始以降はじめて「景気」を抑えトップになった。事実、確かな人間関係があるのではなくたまたま出会った幼い子供が殺害されたり、高齢化にともなって一人暮らしの老人が襲われたり騙されたりして犯罪被害にあったり、一人暮らしのまま亡くなっていて誰にも気付かれず何年も経ってしまったのち発見されたりしている。このような事件は絶対数が少ないとはいえ、社会的なインパクトが大きく、治安悪化意識―しばしば体感治安と呼ばれる―や不安感が漠然と広がっている。

 こうした具体例に象徴されるように、情報化やそれにともなうグローバル化の影響をうけた社会的な問題として、広い意味のリスクに対するセキュリティ(安全)を担保*2 することが重要な社会的課題になってきている*3
 セキュリティ(安全)という語は、「安全な」まちづくり、「安全な」食品、「安全な」住居など、現代の日本社会では重要なキーワードになっているといえる。実際にセキュリティを社会経済的なサービスとして提供する保安サービス業などの産業は年々右肩上がりの成長を遂げている。そこにはリスク社会化という社会構造の変化によって、治安悪化や犯罪の増加ということが人々に認識され、セキュリティというサービスをお金で買って担保するという構図がある*4 。そこにはセキュリティを担保するために、近所で見回りをしたりしてコミュニケーションの密度を上げるのではなく、お金を払って企業からセキュリティサービスを買うのである。いわば市場によってセキュリティが供給されているのである。
 同じくセキュリティを求める動きとして、情報化の動きの中で監視カメラの設置など、監視社会化も進行している。新宿歌舞伎町など歓楽街のみならずJRなど各路線の駅には監視カメラが設置されているし、各種ビルの各フロアーには監視カメラが設置されている。いわば特定の場所で監視カメラが見られるのではなく、日常の風景として監視カメラが設置されているといってよい。そしてこれらの監視カメラはあくまでも「防犯」目的のために設置されているのであり、監視カメラの設置にあたっては警察の指導をあおぐことも多いのである。こうした動きからは、先ほど述べたような市場によるセキュリティの供給のみならず、行政によってもセキュリティが供給されているといえる。
 
 このようにセキュリティが社会の治安悪化意識とともに強く求められるなかで、企業からサービスを買うことのできる人は「安全」、およびそれにともなう「安心」を購入している。そして街中には「防犯のため」という一般に反対することが難しい名目で監視カメラが設置されている。さらに一番の問題として、治安悪化意識が単に「意識」の問題にとどまらず、「現実」の動きとなって現れていることが挙げられる。
このような大きな動きがある中で、人々のネットワークでセキュリティを担保するためにとりくむような流れは現在では小さいものである。現実に先の「社会意識に関する世論調査」においても流動性の高い都市部において治安悪化不安は強いのである(図1を参照)。




図 1 治安が悪い方向に向かっていると思われると答えた人の割合
注:内閣府『社会意識に関する世論調査』より作成

 その一方で、行政や市場主導の監視に代表されるように、技術に依存するセキュリティが頻繁に主張される。しかしながら技術に依存するセキュリティそのものが、行政による恣意的な情報利用や市場の論理によるコンロトール不能性を引き起こし、リスク要因となる。そして何よりも監視技術によるセキュリティは人々が期待するほどの効果を現実には持っていない*5 。少し言い方を変えると、高度な技術によるセキュリティはその効果期待に応じたセキュリティレベルを実現することは実際には難しく、その効果期待と現実の効果とのギャップが不安要因となる。すなわち技術だけでは安心に向けて人々を満足させることができず、逆に安心に対して欲求を高めることによって、さらなる監視技術の導入につながっていく。つまり絶対的な安心が不可能である以上、技術によるセキュリティは自らを駆動要因としてますます上昇していくのである。したがってセキュリティを担保するためには、何か別のアプローチを考察する必要がある。そしてそのアプローチとして、先ほど小さい動きだと述べた人々のネットワークでセキュリティを担保することが候補として考えられる。

 本研究では、上で述べてきた問題意識を引き継ぎ、セキュリティを監視技術で担保するのではなく、「人々の協調行動を活発にすることによって社会の効率性を改善できる、信頼、規範、ネットワークといった社会組織の特徴」(Putnam 1993=2001: 206-207)をあらわすソーシャル・キャピタル*6 という概念に注目して考察を進める。具体的には、実証的に検証可能なように「犯罪認知件数とソーシャル・キャピタルとの間に、具体的にどういった関係があるのか」という操作的な問いをたて、「ソーシャル・キャピタルは凶悪犯よりも窃盗犯に有効に作用する」「ソーシャル・キャピタルの効果は空間による制限がある」という2つの仮説を統計資料に基づき実証的に分析するものである。さらに犯罪認知件数とソーシャル・キャピタルとの間にある関係が、他の変数を加えた状態ではどのようになるのかまで明らかにしたい。

2 ソーシャル・キャピタルの先行研究
 
 ここでは国内でのソーシャル・キャピタルに関する主な研究状況を概観する。金子郁容は政府・市場以外に社会問題を解決する手段としてコミュニティを位置づけ、コミュニティ・ソリューションの源泉としてソーシャル・キャピタルを用いた(金子 2002)。佐藤寛は発展途上国の開発という文脈で従来のインフラの設備投資などのサプライサイドによる開発ではなく、ソーシャル・キャピタルを重視し地域に応じた開発を唱えた(佐藤編 2002)。金光淳や石田光規は社会ネットワーク分析の立場から、ソーシャル・キャピタルを社会ネットワークの一種であるとし、ネットワークの強弱、範囲、形状という観点からソーシャル・キャピタルを分析したものである(金光 2003; 石田 2004)。坂本治也はロバート・パットナムの議論をもとに政治学における共同性の議論、市民社会論を再考し(坂本 2003)、猪口孝は日本の選挙・政治制度とソーシャル・キャピタルとの関係を実証的なデータを用いて分析した(猪口 2003)。そして宮田加久子はインターネット上の集団心理を分析する際にソーシャル・キャピタルを援用している(宮田 2005)。また既存のソーシャル・キャピタル研究をまとめるような日本語での著作も発表されている(内閣府 2003; 宮川・大守編 2004 ほか)。このように2000年以降、毎年のようにソーシャル・キャピタルに関する研究が発表されているが、依然としてまだ日本において研究の蓄積が厚いとはいえない。
 一方、海外の研究状況としては約10年早く、今日のソーシャル・キャピタル研究に大きく影響しているものとしてロバート・パットナムの研究がある。パットナムはイタリアの制度パフォーマンスを分析する際にソーシャル・キャピタルという概念を用いた(Putnam 1993=2001)。さらにパットナムはアメリカにおけるソーシャル・キャピタルの減少を論じ、ソーシャル・キャピタルに注目が集まるきっかけとなった(Putnam 2000)。そういったパットナムの研究に大きな影響を与えたのは、合理的選択理論の立場からソーシャル・キャピタルを論じたジェームズ・コールマンの研究である。コールマンはアメリカの学生の教育効果が公立学校よりもカトリックの私立学校の方が高いことを示し、その原因として家族の期待など社会関係を挙げる(Coleman 1988)。そして後にソーシャル・キャピタル概念をよりはっきりと提示した(Coleman 1990=2004)。フランシス・フクヤマは犯罪発生率、離婚率、出生率などのデータから「社会秩序の大崩壊」が起こっているとし、その原因は工業社会から情報社会への急速な変化であるとし、その対処法として信頼(Trust)に注目しソーシャル・キャピタルを回復させる必要があると述べている(Fukuyama 2000)。またソーシャル・キャピタルの中でもネットワークにとりわけ注目し考察したものもある(Lin et al. eds. 2001, Lin 2002)。ポルテスはソーシャル・キャピタル研究に大きな影響を与えたパットナムの研究を、移民研究の立場から批判的に考察し、パットナムの理論が循環論であること、ソーシャル・キャピタルが抑圧に働くこともありえると主張した(Portes 1998)。他に移民コミュニティにおいて経済的困難さや社会的孤立を和らげるものとしてソーシャル・キャピタルに注目した研究もある(Giogas 2000)。
 政府機関でも研究が進められており、世銀では持続的発展を遂げるためのミッシングリンクとしてソーシャル・キャピタルをとらえ(Grootaert 1998)、オールトラリア政府は家族を中心にソーシャル・キャピタルを考察している(Winter 2000)。

 これらの先行研究はソーシャル・キャピタルについて理論的に整理を試みるものや、また教育、開発、ネットワーク、政治、経済、社会心理という具体的な分野においてソーシャル・キャピタルを応用しそれぞれの分野でソーシャル・キャピタルとの相関を求めるなどして研究したものである。そして研究は分野によってソーシャル・キャピタルの適用範囲やソーシャル・キャピタルが帰属する主体が変わり、その研究結果は変わってきている。

*1: 平成17年2月実施。全国1万人男女に面接調査を行い、6586人から有効回答。

*2: 本研究で「セキュリティの担保」という時、セキュリティの不足を補うという意味と、セキュリティの上昇(過剰)を抑えるという2つの意味を含んでいる。温度を一定に保つことを想像してもらえばわかりやすいだろう。

*3: 「セキュリティ」という語は本来幅広い含意を持つ言葉である。具体例としては、national security(国家安全保障) social security(社会保障) public security(公安)が代表的なものとして考えられる。また近年注目を集めているhuman security(人間の安全保障)は、生命の尊厳や人間として生きる権利などをベースに、「脅威・不足・欠乏からの自由」をキーフレーズとした、社会における人間、生命としての人間を基盤にした安全保障を考えるものである。さらに近年公共性を巡る議論の高まりとともに、身体をめぐる親密圏のポリティクスもセキュリティの範囲に入ってくる。他にもエネルギーの安全保障、食の安全保障、文化の安全保障や、コンピュータウィルスから守るネットワークセキュリティがある。このようにセキュリティは本来大変広い範囲をカバーする言葉なのであるが(村上  1998)、本稿ではセキュリティの議論の範囲を、防犯に対する人々の意識やその意識に基づく現実の動きにしぼる。その方が、社会的に意義があるからである。したがって以下の議論でも主に犯罪について議論する。

*4: 犯罪に関する統計レベルの分析としては、法社会学者の河合幹雄が述べるように、近年犯罪が「急増」したわけではなく、いわゆる「凶悪犯罪」も強盗以外は増えていない。強盗にしても分類上の問題が大きく、現実の治安悪化を示すものではない(河合 2004)。このように統計上では犯罪の「急増」や「凶悪化」は言えないのだが、人々の治安悪化意識はセキュリティへの希求となり、現実へ影響を与えている。セキュリティに関して統計上では治安悪化はいえないのだが、治安悪化意識が現実を動かしている点が問題になってくる。意識とはいえ、過剰な防犯意識が現実に影響をあたえている現在、意識と現実の相関に対してどのように対処すればよいかを考える必要がある。

*5: 監視カメラで得られた情報が事後的に犯人逮捕に役立つということはあるものの、その場での犯行を防止する機能は無い。また子供にもたせる防犯ブザーにしても、物理的に犯行を防ぐ機能は無い。これらの技術の最大の機能は、導入時に一時の不安感を取り除いてくれるものである。そしてしばらくするとまた新たな技術が不安感を取り除くために導入されるのである。

*6: Social Capitalは社会関係資本、人間関係資本、社会的資本、社会資本など様々な日本語訳を持つ。社会関係資本が日本語訳として最も普及しているように思われるが、本研究ではソーシャル・キャピタルと表記する。