『ルーマンの社会理論』(馬場靖雄著)序章、第1章のメモ

昔(2004年10月)に作ったものです。最近「日記」しか書いてなかったので、たまには小難しいものを挙げてみようかなと。何かのお役になればと思います。

ルーマンの社会理論

ルーマンの社会理論

序章

二クラス・ルーマン(1927)
 フライブルク大学で法学を学んだ後、リューネブルク上級裁判所、ニーダーザクセン州文化省勤務、シュパイヤー行政単科大学研究所などを経て、1968年よりビーレフェルト大学教授(社会学)。1998年に死去。1960〜61年にかけてハーバード大学に留学し、タルコット・パーソンズに師事。

・理論上の時期区分
 1 初期:60年代から70年代半ばまで
   ハーバーマスと論争し、「テクノクラートのイデオローグ」のレッテルが貼られる
  キーワードは「等価機能主義」「機能−構造主義」「複雑性の縮減」
 2 中期=移行期:70年代半ばから80年代前半まで
   「自己言及」概念の導入、「複雑性の縮減」は背景へ
 3 後期=完成期:主著『社会システム』(1984年)刊行以降
   「オートポイエーシス」概念の導入(オートポイエティック・ターン)
   「社会の〜」シリーズ刊行により、機能システムごとの分析へ


ルーマンへの批判
1 初期に対応
現存の制度は複雑性を縮減するという機能を担っているから、必要かつ正当であるという議論を導いてしまっている。「テクノクラートのイデオローグ」

2 橋爪大三郎の議論
個人の予期から共同体のルールを導出する予期理論とし、そのような予期理論から規範は導出できないこと、コミュニケーションがダブルコンティンジェンシーをどう克服するか述べていない。

3 後期に対応
各機能システムがオートポイエティックでありかつ閉じている、と述べているが全体としての社会システムのレベルにおいて、どう秩序が形成されるかを説明していない。


・「システム」を巡って
一般システム理論と特殊事例としての社会「システム」理論なのか?
オートポイエーシス」を無批判に導入したのか?
 

第1章 複雑性


1 システムと環境、あるいは端緒の不在
議論の出発点
「個人が先なのか、社会が先か」という既存の社会理論
「分解と再構成の能力が昂じて危機的状態にまでいたりうるようになった、今日の科学」

そうではなく、複雑な「世界」をそのまま把握するのではく、「環境」から区別された「システム」、つまり<システム/環境>という「区別」から議論を始める。

そして環境から区別されたシステムを観察する我々(観察者)もひとつのシステムである。
つまり、観察者と対象の関係を<システム/環境>関係の特殊ケースであると捉える。

<システム/環境>という「区別」を固有値(始源)として議論をすることで、<システム/環境>という「区別」は固有値であり続けることができる。

「あらゆる合理化は後付けの合理化である」「最後の根拠は、最後から2番目の根拠である」


2 複雑性の縮減
 環境とシステムの差異は、「複雑性の縮減」によって成立する。
 システム内部の複雑性は環境の複雑性よりも低い。

ただ「複雑性の縮減」から考えた場合に「システムは複雑な環境に対抗して成立している」わけではない。
<システム/環境>という「「区別」からはじめた」場合にシステム内部の複雑性は環境の複雑性よりも低いのである。


3 複雑性の概念史
<複雑性/単純性>という対概念
1 複雑な世界は単純な神の構成物であり、神こそすべての特殊存在が目指すべき統一性である。
2 しかし単純なものは理性が認識の必要上構築した虚構である。世界は把握できないほど複雑である。
3 単純なものは、それ以上分解できない単純なものとみなしているから単純なのであり、それ自体を取り出すと複雑である。

結局、あらゆるものが複雑だとすれば、任意の区別からはじめて複雑性の相対化しかない。


4 形式としての複雑性
複雑性を、対象がもつ属性ではなく、対象の観察において普遍的に用いられる図式として
の区別だと捉える。その普遍的で閉じられた区別を「形式」と呼ぶ。

複雑性概念が指し示すのは、<諸要素が完全に関係づけ可能/選択的にのみ関係づけ可能
>という区別=形式を用いてなされる対象の記述(の方法)


5 世界の複雑性
完全な関係付けをポジティブに語ることは出来ない。ポジティブに語りえるとしたら、も
はや複雑でない。
<諸要素が完全に関係づけ可能/選択的にのみ関係づけ可能>という区別がまずあって、
完全な関係づけは不完全な(選択的な)関係づけの否定でしか語れない。

<選択的な/完全な>という区別は<単純なシステム/複雑な環境>という区別と等置で
きない。

複雑性は<縮減されない/された複雑性>という対で用いなければ意味が無く、そのため
にまず<システム/環境>の区別が必要。


6 複雑性の複雑性
機能的に分化した各システムにおける区別=コードは、他のシステムにおけるコードが
選択状況を作り出すという点を考慮する必要は無い。

各部分システムにあるのは、関係=区別の関係付けのかたちをとる客観化の戦略である。

つまり複雑性は<完全な/選択的な>という区別を用いた記述であると同時に、自分自身
が多くの選択的記述のうちのひとつでしかないということを示している。

<コンスタンティブ/パフォーマティブ>な複雑性を同時に確保するには、普遍性をポジ
ティブに掲げつつ、その普遍性そのものの再参入によって自己を限定する理論でなければ
ならない。

普遍的な理論とは普遍性を掲げつつ自己否認する理論。


7 システムとは何か
繰り返すと、<システム/環境>の区別があって、そこに複雑性を付加してはじめて「複
雑性の縮減」について語ることが出来る。

「○○とは何か」をポジティブに語れない。あるのは「○○」を話題にしたときに用いら
れている区別。そして<システム/環境>の区別は自己否認的であり、自己確証的である。

自己言及的に閉じられたシステムが存在する。その「閉じ」ごとに様々な種類のシステム
が存在する。

社会システム(の閉じ)はコミュニケーションがコミュニケーションに接続されることで
実現される。