安全神話崩壊?

最近航空機関係のトラブルが多いですね。あわせて「安全神話」の崩壊!ってマスコミが叫んでいます。

安全神話」が崩壊したかどうかは、一概に論じるのは難しい。そもそも「安全神話」が具体的に何を指すのか、またかつては存在していたのかさえ明らかではない。むしろ一連のトラブルを「安全神話」崩壊というレッテルでわかったような気にさせているだけとも思える。(つまり思考のエコノミー(節約))

仮に「安全」が航空機のシステム面でのことを指すなら、賃金コストの減少という目的のために保守点検が契約社員などにアウトソーシングされた結果、チェック機能が低下したということもあるようだし、またシステム自身が専門化したために少しのヒューマンエラーでシステムが動かなくなる可能性が高まっていると思われる。そう考えると結局「安全神話」崩壊とは驚くべき帰結ではなく、システムの高度化・複雑化の結果、起こるべくして起こったとも考えられる。

しかしながら「安全神話」崩壊というときには物理的なレベルで安全が崩壊したというよりも、やはり心理的な面で安心できなくなったという面が強い。たとえば刑法犯に関しても統計を見る限り、犯罪は「凶悪化」しているとはいえず、犯罪が微増しているのは軽犯罪の増加の影響が大きい。ただ軽犯罪といえども「犯罪」であり、犯罪の増加は心理面で「安心」できなくさせる。実体的な面ではなく、社会意識面で治安の悪化が認められる。

ここで心理面だから気にしなくてよいとはいえず、心理面での悪影響が実体に及ぶ可能性も否定できない。不確実性が高く不安を感じる人にとっての合理的な行為選択は「最小限のこと以外しない」だ。(例.将来の不確実性が高いため消費行動を控えるのは普通に考えられる)

まぁこんなところで結論の出る問題ではないのだが、今日のような情報社会では期待・イメージといった心理的側面が実体に与える影響についても考慮に入れる必要がある。単純に「安全神話」崩壊は出鱈目だといって済む話ではない。


今日買った本は

安全神話崩壊のパラドックス―治安の法社会学

安全神話崩壊のパラドックス―治安の法社会学