JR西日本に関して

JR西日本脱線事故が起こってから、10日あまり。スピード超過やそれに至る切迫したダイヤの問題など連日報道されている。近畿は自分の出身でもあるし、また知り合いもいるので、知り合いが事故に巻き込まれなかったことに正直なところホッとする一方、突然人生を終えざるをえなかった百数名の人々とその家族に対しては、さぞ無念だろうと思う。

JRの事故前後の対応に対しては責められるべきものがたしかにある。それに対しては厳しく追求していくべきだと思うが、同時かそれ以上に感じることはマスメディアの立場性と事故後の組織対応の仕方である。

マスメディアはここぞとばかりに、事故についての原因やJRの責任について追究している。中には質問というよりは怒号に近いものまである。JRの責任に対しては、記者としては怒りを抑え、「なぜ〜か?」「〜の場合には、・・・となるかどうか」といった因果的な説明、様々な条件の想定をJRから引き出し、情報を伝えることではないか。ただ記者の個人的な憤りをJRにぶつけて、自ら責任を果たしたかのような個人的な満足を得ることは、プロの記者の仕事ではないということを連日の報道から感じる。別の言い方をすれば、記者は個人的な憤りを持つがために、論理的な因果関係の説明に転換し報道することが求められるように思う。

マスメディアは自らの既得権益については一向に問題にしない一方、他社の不祥事にいたってはここぞとばかりに吹き上がる。したがって「えらそうにJRにつめよってるが、お前はどうよ」的なシラケをマスメディアの薄っぺらい正義に感じるのである。

さて、もう1つ感じるのは、マスメディアもさることながら、不祥事のたびに明らかになるのは日本企業の「内向きの論理」である。不良債権問題の際に公的資金を注入された金融、食中毒の雪印、牛肉偽装の日本ハム、そして今回のJR西日本。そうした不祥事のたびに感じるのは「お客様のため」は二の次であり、企業利益が第一であるということ。もちろん民間企業である以上、株主価値を最大化し、社員に対する利益配分に努めるのは当然のことである。

しかし短期的な利益を最大化しようとしたために、長期的な利益を損なってしまう。そして事故後の対応は「私は悪くない」という会社上層部の対応。これらから明らかになるのは、会社の決定を行っているのは誰なのかということがまずあり、最終的には決定についての責任は上層部にあるということ、そしてそうした上層部は自分たちが引退するまでのあとわずかな期間を逃げ切ればいいという思考ではないだろうか。すなわち自分が会社に居る間で会社の業績がもてばよく、そのために「内向きの論理」でミスを隠そうとする。そして多くの場合、それがさらに事態を悪化させる。

以上述べてきたように、会社組織の決定を握っている上層部にとっては、会社は株主のものではなく、まして従業員のものではなく、自分たち上層部のものである。会社のミスを隠し、退職まで逃げ切ればよいという発想を、今回のJR西日本の事故に改めて感じる。今回の事故対応にデジャブを感じたのは、「内向きの論理」が日本企業組織に基層低音として存在しているからであろう。

今回の件では

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

が参考になるかな。