公共政策大学院

シンクタンクの就活をしていてたまに東京大学公共政策大学院 | GraSPPの人と一緒になることがある。

どうやら話を聞いていると、完全なプロフェッショナルスクールでクラスがあるらしい。コースごとのクラスで授業を受けたりするらしいのだ。それでクラス仲良くやっているとのこと。そして博士課程も無く、したがってどうやら修士論文執筆がないらしい。その分2年間の取得単位は46単位と多い。普通、研究大学院が2年で30単位だから。その分修論書くけど。

そういう話を聞いていると、クラス仲良くて楽しそうで単純にいいなぁと思う反面、何のために大学院にいっているの?と思わざるをえない。ただクラスで授業受けるのって学部のすることでしょ、と。やっぱりプロフェッショナルスクールといえども研究してナンボだと思うんだよね、大学院は。多少実践的な?知識を増やして就職するのだけれど、その実践的な知識にせよ法律とか経営だったらまだ「実践的」だと言われても納得する。でも「政策」って分かるような、分からんような。結局、実践的な知識うんぬんより、「東大」ブランドを持って就職したいだけな気がする。授業多めに受けるだけで、「東大の修士」が手に入って社会人になれる。就職狙いならおいしい話だ。就職活動で基本的に研究の質が問われることは無い。

はっきり言うと、プロフェッショナルスクールといえども博士課程がない大学院ってやっぱりプレステージ低い気がする。上記では東大を批判したが、http://www.hit-u.ac.jp/IPP/default.htm修士論文書かなくて良いらしい。基本的には東大と同じ。授業受けていれば、一橋の修士号が手に入る。最初から就職狙いの人はクラスで楽しくやりながら2年間過ごせば、東大とか一橋の修士として社会人になれる。

別の観点からすると、公共政策大学院は政治学、経済学の教授の新たな仕事場ということなのだろう。法科大学院は法学の教授の新たな仕事場。つまり「法学だけでなく、我々政治学や経済学も新たなポストを」ということで、おまけに修論指導しなくてよいから負担も少ない。2,3年すれば社会人として就職するから、従来型の研究大学院よりも学生に対して責任は軽い。要するに教授側、生徒側両者にとっておいしい話であるのがプロフェッショナルスクール。大学として財政的に生き残るためにも好都合。その証拠に近年次々とプロフェッショナル・スクールができている。(ちなみに94年開校の政策大学院の先駆けとも言える慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス(SFC)大阪大学大学院国際公共政策研究科には博士課程がある。)

安易な大学院拡張の歪みは既に出ているし、ロースクールにしても目標だった新司法試験合格8割どころか3割受かれば良い方で、少なくない学生は弁護士、国家公務員などにつけない。

そして何より安易な大学院増加は学位(Degree)の価値を下げる。公共政策とか総合うんたら学、うんたら情報学の価値が下がるのは勝手だが、従来型のディシプリン政治学、経済学、社会学など)の価値まで下がるとしたら憂慮すべき事態だと思う。

ps)念のため書いておくと、政策大学院のコンセプトそのものや東大・一橋を批判したいわけではなく、修士号もらうなら単にコースワークだけでなく相応の成果物(修論とか起業とか)を出さないとダメじゃないの、という話です。