記念日

今日は誕生日。いよいよ四捨五入して30歳になっちゃいます(笑)。
こないだまで97年とか01年って感じがしてたんだけど、月日の経つのが年々早い。
小学時代長かったもん。「いつ終わるんだ」っていう感じだった。中学はさらに短く、高校はもっと短く。大学もあっという間で、院にいったとはいえ社会人も目の前。

このまま40とかになるのかね〜。でも自分でいうのもなんだけど、とうとう25まで勉強したな。というのも予備校時代に影響を受けた駿台関西の表三郎師が「25までが勝負だ」って言ってたのを覚えている。ニュアンスとしては「頭が柔らかい25くらいまでにきちんと勉強することがその後の人生にとっても重要だ」ということだろう。

予備校時代は今から振り返って大事な年月だった。高校卒業まで塾に行ったことがなく、(したがって高校まで「カキコーシュー」という言葉の意味が分からなかった)地方高校だった自分が駿台でえた経験は貴重なものだ。京大を目指したのも8年前の97年3月。駿台で勉強する中で、今年こそ確実に合格できると自分も回りも思ってたけど、センター試験ミスったのが00年1月で、京大あきらめた(あと1年やるかどうかの時、能力というより精神力の限界を感じた)のが00年3月。

それから5年。思えば遠くに来たもんだ(どっかで聞いたセリフだな)。まさか大学時代それなりに勉強(研究)して、よもや大学院にまで来るとは思わなかった。

それと同時に中学とか高校の同級生は今頃なにしてるんだろってたまに思う。なにせ進学校もない京都の地方だから。中学の同級生の多くは工業高校→就職して、中には二十歳くらいで結婚して子供もいるらしい。高校の同級生も(高校には良い思い出があまりない。田舎で塾もいかず京大志望の自分は気でも狂ってると思われてただろう)今頃どうしているだろうか。

自分がなんだかんだいって大学院まで来た一方で、たまたま教育環境が乏しい地方に生まれたがために、「良い大学」にも行けず、「良い職」にも就けない同級生や都会に出てきたもののフリーターとなってしまう同級生がいる。彼ら/彼女らに責任があるわけではなく、「たまたま」地方に生まれたがために、都会生まれより教育=就職の面などでハンディキャップを負っている。そして地方の中とはいえ「たまたま」勉強ができた自分。もちろん都会生まれと対峙するため人一倍努力したし、失ったものも少なくない。「地方に生まれたこと自体が負け組み」だという声は自分に響く。それでも、「今の自分(一橋大学院まで来てしまった自分)であること」は蓋然的である。


彼ら彼女らと自分の境界は何だろう。地方生まれと都会生まれの境界はなんだろう。それは偶有的であり、その区別は恣意的だけど、恣意的であるが故に一層重くのしかかってくる。
都会生まれはそうした恣意性は見ようとせず、地方生まれは地方に居る限り、その恣意性を感じることすら困難だ。自分がその恣意性を感じたのは駿台に入って京都市内に出てきた時だった。

はたして自分の声は都会生まれ/地方生まれの「同級生」にとどくのだろうか。そして今の自分にはどれくらい偶有性(入れ替え可能性)にもとづく共感があるだろうか。