インプットとアウトプット―SFC批判をこめて

久々の更新です。やっとテストも終わり一息つけました。今日はインプットとアウトプットについて書こうと思います。

インプットはテレビを見たり本を読んだりして情報を手にして覚えること、読むこと・聞くこと(つまり内部に蓄積)としておきましょう。一方、アウトプットはこうして書いたり人にしゃべったりして外部に出すことです。この2つはまったく両輪です。

今はSFC(湘南藤沢キャンパス)に所属しているわけですが、非常に遺憾に思うことがあります。それは今のSFCがあまりにアウトプットに偏りすぎているということでしょうか。「外部に発信」なんてことが学内で熱心に言われているわけです。例えば、大学発ベンチャー!と。(注、大学発ベンチャーそのものは決して否定していません)「理論だけでいいのか、実務を経験することが大切ではないか」と学内で企業インターンセミナーのビラに書いてあったりするわけです。

でも、そういったものを見たり聞いたりするにつけ、「おい、待てよ」と思うわけです。というのも、今のSFCで感じることはあまりにインプットが貧弱であるということです。たしかにSFCは概してアウトプットの「仕方」はうまいです。教員も生徒も。きれいなパワーポイントで話も上手です。そこは他のキャンパスより評価すべきところだと思います。しかしながら、自分の専門分野であるとかで自分のレベルが上がったりして、よくよく聞いてみると、「話の中身自体はたいしたことない」場合が多いなと感じます。SFCも入ったときは、自分の知識それほどなく、先生も生徒も発表が上手だから「おお、すげぇ」と思いましたよ。でも、最近は空虚だなと感じます。

そういったことはSFCだけでなくて、就職活動でも感じました。某外資経営コンサルタントや某外資系金融の会社説明や実際にお会いして話を聞く機会があったのですが、正直裏切られました。要するに「パワポはキレイだし、しゃべりも上手いけど、中身はたいしたこと言ってないじゃない」と。「理論だけでは仕方が無い」なんていいながら、「リサーチは自分の経験論ばかりで理論なんてないじゃないか」と。

SFC外資系コンサルとか外資系金融に行きたい人がたくさんいるみたいですが、私が僭越ながら感じるのはインプットがたりないなということです。もっと言うと、インプットがないのに外部発信・ベンチャー・政策提言と言ってみても「ただ格好つけてるだけ」です。たいして理論もやっていないのに「理論だけでは仕方ない」と言ってもらいたくないです。「理論より実践」「SFCなんて浅く広くでしょ」ということから何より明らかなことは、「その人の理論が役に立たない」「その人が浅く広い」ということです。

これらのことはマスコミ予備校にも感じます。マスコミに就職したいとわざわざお金を払って予備校に行く人がいるらしいです。そこで上手なしゃべり方、作文試験の対策法等を教えてもらうそうです。私が思うのはそんなことしてるヒマがあるなら、きちんと政治学や経済理論の1つや2つ勉強するほうが時間の有効な使い方なのではないかということです。

SFCでは問題発見・問題解決と言われますが、問題解決よりもその前にインプットなくして問題発見できません。勉強しないと問題があることすら気付かないのです。適切な問題発見なくして、適切な問題解決もありえません。ただ上っ面を撫でただけの、スタイリスト(格好つけ)がいるだけです。

SFCの理念には非常に共感するものがありますが、近頃感じるのはあまりにきらびやかな結果(アウトプット)にこだわりすぎているのではないか、地味なインプットがあまりに不足しているのではないか、ということです。

インプットなくしてアウトプットなし。アウトプットの無いインプットはただの自慰に過ぎないが、インプットの無いアウトプットは空虚であるといえます。

PS、偉そうに書きつつ、私も地味にさらなるインプットに励む必要がありますね。