恋愛

今日は恋愛の話。といってもいきなり個人的な話で興味ない人には恐縮なんですが、最近「恋愛」してないですね。そもそも恋愛するくらい恋心が湧かない。なにかが手につかなくなるくらい「好き」にならないですから。(ちなみに恋心の「好き(love)」と普通に好き(like)は一応レベルの差があって、以下使い分けます)年々そういうことはなくなってきてるのかな。大学入る前までは「好き」になることは、ままありましたからね。決定的なのは大学に入って色々本読んだりして勉強し始めてから、「好き」にならなくなりましたね。なぜだかはわからないですけど、たぶん理性が強くなったのかもしれません。誤解されるかもしれないですが、僕の場合、好きなら付き合えるんです。でも付き合ってても「好き」っていう気持ちまで至らないから、関係を維持するのにエネルギー使うだけでこっちがつらいです。相手にも結局迷惑かけることになるし。

もちろんあの人きれいだな、とかは普通に生活していて思うことはたびたびありますが、でも惹かれることは少ないです。大学生活でも好きな人はできるんですけど、「好き」な人っていないですね。一目ぼれはしないから、好きから「好き」になるしかないんですけど、僕の場合熱しにくいタチなので「好き」になるまで時間がかかるわけです。その間にちょっとしたきっかけで「好き」になるきっかけを失ったりする。だから今本当に願っているのは理性を吹き飛ばすくらいの「好き」っていう感性の到来です。本当にこの理性が壊れるくらいの恋愛したいな。

個人的なことばかり言っててもしょうがないから、もう少し一般的な話をします。そもそも恋愛に必要な要素として、「気持ち」「エネルギー」「時間」「お金」が挙げられると思います。一応重要なものから挙げたつもりです。この4つが組み合わさって恋愛が成立するのでしょう。一般的な学生の場合だとこの4つがうまくバランスとれるのは大学生でしょう。それまでは「お金」ないですから。でも気持ちとエネルギーで埋め合わせるんですがね。そして社会人になると仕事がいそがしいから「エネルギー」「時間」の面でキツイかもしれない。今の自分の場合は、まず「気持ち」の面で問題(笑)。あと研究生活で「エネルギー」「時間」の消費、そしてお金もなく。全部ないですね。はぁ。

恋愛してない(できない)人間にとって一番キツイのは前回も書いた「自明性の圧力」。恋愛して当然という空気です。町に出ると仲良さげに一緒に歩いているカップルいっぱいいますからね。でもそもそも恋愛が成立するケースと成立しないケースを比べると後者のほうが多いんでしょうね。前者は目に見えるけど、後者は見えないですから。そう考えると恋愛してないのもそう不自然なことでもないのかなとも思います。

「あと恋愛はすばらしいものだ、した方がいい」っていわれますが、「恋愛」という概念を考えた場合に、果たして今日言われている「恋愛」は普遍的なものなのか。思うに、「恋愛」の概念はそう普遍的なものではなく、そのときの社会の状況であったりに左右されるものです。恋愛の一つの形態として「プラトニック・ラブ」ってありますけど、この「プラトニック・ラブ」は鎖国が解けて近代化する以前には存在しなかったのです。近代化されて西洋から様々なモノが入ってくるわけですが、その1つが「プラトニック・ラブ」だったのです。最初にこの考え方を輸入したのはキリシタンの知識人です。彼ら知識人から徐々に大衆に広まっていったと思われます。

ではそういった人たちがキリスト教の影響を受けた「プラトニック・ラブ」を導入するまでは、「恋愛」ってどういったものなのかが問題になってきますね。それは「色」という言葉で表されていました。「色」というと今では「セックス」を連想することが多いのでしょうが、当時では今の言葉で言うと「愛」+「セックス」ですから、つまり今の「恋愛」を指します。ですから光源氏のような「色好き」は今で言うと「恋多き人」の意です。近代化以前はプラトニック・ラブという考え方がないですから、けっこう町の祭りとかでセックスしたり(そもそも祭りという非日常の楽しみはそれだった)、そういった女郎小屋で元服するかしないかの歳でセックスを教えられたりしたらしいです。本当の末端では近代化以降もそういったことは続いていたらしいですが。

ですから例えば「結婚するまでは純潔で」という恋愛概念は近代化の名残といえます。最近では恋愛概念も変わってきて婚前交渉は珍しくなくなりましたが、それは元に(明治以前に)戻りつつあるというほうが正しいでしょう。こういったことからも分かるように「恋愛」もその時々の社会意識に影響されることが分かります。

「恋愛」も普遍的なものではないですから、たいしてすばらしいものではなく、「しないよりはするほうがいい」くらいに考えてはいかかでしょうか。そっちのほうが気が軽いですし。「恋愛しなきゃいけない」主義からは解放されるべきでしょうね。

でも実際問題、自分の彼氏がこんなことトウトウと述べてもいやだろな。きっと彼女にとっては重いもんね。