孤独

この正月は本当に孤独感に襲われました。本当に孤独に負けそうになってた。具体的にはこれまで自分なりに勉強してきたけれど、恋愛を含めた人とのつながりを軽視してきかのではないかと。

そういったことを受けていろいろ考えました。自分のやってきたことは果たして正しかったのか?そして気が付いたことがあります。それは個性と孤独が地と図の関係、コインの裏表の関係であったと。気が付けば当然といえば当然なのです。自分が勉強を始めた1つの理由として「普通の大学生で終わりたくない」ということでした。当然ながら、勉強すればするほど色々な概念・言葉を得ます。そういった概念・言葉は認識の体系を変えるのです。これはソシュールの言語論を考えるとすぐに分かります。ソシュールによれば、人間が認識できるのはそこに「もの(シニフィアン)」があるからではなくて、言葉(シニフィエ)があって初めて認識できるのです。したがって勉強を進め、概念・言葉を得るほど世の中の認識が変わります。そういう風に認識が変わると、そうでない人との乖離が大きくなるわけです。具体的にいえば、勉強しない学生と話が合わなくなります。

そうして勉強することはある種個性化を伴うわけです。裏から言えば、気持ちを理解してくれる人が減るということです。こういったことは勉強に限らず、どの世界にも見られることかもしれません。オリンピックに出る人は他人から、うらやましく思われるでしょうが、おそらくその人にしか分からない悩みがあるのだと思います。でもそこは他の人とは違うことを目指している以上避けられないのでしょう。「人と同じはヤダ」と言いつつ「たくさんの人と仲良くしたい」と求めるのは反則です。どっちかにしなければならない。極端な話、トップで1人でゴールしたいのか、みんなと一緒にゴールしたいのか、どっちかにしなければならない。したがって、個性と孤独はコインの表と裏です。

私も自分の走ってきた道を振り返ると、穴ぼこがいっぱいあいていて色々犠牲にしてきたなと思います。でもその穴ぼこのすぐ横には自分が作ってきた自分にしかないものがありました。犠牲にしてきたことも多かったけれど、自分しか経験できなかったこともいっぱいあると、考えた結果気づきました。

冷静に将来を考えると、1人になってじっくり考える時間なんてそう多くないことが分かります。大学に入る前は家族がいた。就職してしまえば、仕事仲間と付き合わざるを得なくなります。そのうち自分の家族ができるでしょう。そう考えると大学時代に1人になる時間が重要なのかなという気がします。1人になると自分のことやまわりのこと考えるものです。そういって考える経験は貴重なのかもしれないですね。

吉川英治の『宮本武蔵』には武蔵がせまい蔵に閉じ込められる場面があります。そして出て来るというわけです。「世界は広いことがわかった」と。本当に世界は広いです。でも1人の頭の中身にその世界は収まってしまう。本当に広いのは個人の精神世界であって、その精神世界を広げるには孤独と向き合うことが必要なのでしょう。広い精神世界と孤独の関係もコインの表と裏の関係であるといえます。