SFC再論

秋学期も始まり、なかなかコラムを書く時間が無かったのですが、連休で時間も出来たこともあり久々に書いてみます。このコラムの最初のテーマはSFCについて書いたものです。それから1年半たって、思うところも変わってきたので今の心境・思いを書いてみます。

SFCというと最近では評判がよろしくないようです。先日、某週刊誌に「SFCの就職率、5割を切った」という記事が載りましたね。これは少しカラクリがあって、就職率といっても「卒業生の内、進路の分かっている人の割合」です。すなわち、就職した人でも進路届けを出していない人がカウントされていないわけです。この実像に関して、某週刊誌では言い訳がましく記事を結んであったそうです。まぁ、週刊誌は売れてナンボですから、厳密性を欠いていたとしても人の注目を引きさえすればいいわけですから。

さて、週刊誌の記事が怪しいとしても、SFCの評判はやはりよろしくないようで。その最大の原因として、SFCって何やってるの?ということだと思います。一体総合政策学部とかいっても何なのか、海のものとも山のものとも分からないのが外部から見たイメージでしょう。もっとも、 SFCの内部にいる人も一体何なのか理解していて、他人に説明できる人は多くないようです。

SFCとは何か?学際的(マルチ・ディシプナリー)であるらしいことは大体知られています。ただ「学際的=広く浅く」というのが多くの人の理解。しかし実際は、「学際的=広く浅く」ではないのです。SFCの目指すべき姿は「学際性に基づいた新たな専門家」の養成です。「新たな」というのはこれまで「専門家=1つの学問領域(ディシプナリ−)を極めた人」という理解に対して用いています。では、「学際性に基づいた新たな専門家」とはもう少し詳しく言えば、いくつかの学問領域(ディシプナリ−)を学習し、そしてそれが1つの高み(専門)へと統合(インテグレート)された人を指します。例えば、国際関係(地域研究)の専門家はその国(地域)の政治・経済・社会・文化・歴史を納めることが必要です。環境問題にしても科学・文化・経済と納める必要がある。

SFCは今起こっている現実の問題(=しばしば複合的な原因を持つ)に対して、試行錯誤しながら挑んでいく人材を養成しようとしているのです。これまでの学部が行なってきた教育は特定学問領域での学問の歴史(これまでどういった理論が発達してきたのか)を教えているのです。例えば、言い方は悪いですけど、経済学部は経済現象ではなく経済学を教えてきたのです。したがって、極端な話が、「経済学の理論には非常に関心があるが、生の経済問題には関心がない」人材が輩出されます。これは極論ですが。

私が師事する先生の1人に曽根泰教先生という方がいらっしゃるのですが、この方はSFCの設立に関わった1人です。先生曰く、「SFCとは固有の学問を修めた後進学する、専門大学院(プロフェッショナル・スクール)を学部でやろうという試みです。したがって、SFCの教育とは単なる教養(筆者注。「語弊を恐れず、言えば浅く広い」)ではなく、高度に専門的な教育です。」とおっしゃってました。この言葉を聞いたとき私は衝撃を受けたことを告白しなければならないでしょう。「あぁ、自分なりに勉強してきたつもりでも少しもわかっていなかったなと」。今日ここで書いたことは曽根先生からそのように聞いて改めて自分なりに考えたことです。教員の中でもSFCとは何かを理解している人は多くないと思います。曽根師はSFCとは何かを理解している、SFC教員の中でもトップクラスの実力を持った方だと思います。曽根師との出会いは貴重な体験です。

このようにSFCとは「専門大学院(プロフェッショナル・スクール)を学部でやろう」ということですから、既存の学部以上に勉強が求められることはいうまでもありません。いくつも学問領域を納め、それを専門性にまで高めなければいけないのですから。では逆に勉強しないとどうなるのかというと、SFCは必修が少ないですから何1つの学問領域を納めていない状態で卒業することになります。既存の学部ならば、必修科目等の関係で1つの学問に関してはそれなりの理解を持っています。つまり、SFCは上下の差、出来る人と出来ない人が本当に大きいところです。ピンキリです。しかも多種多様です。そこが企業や外部から評価しにくいところでもあるのでしょうね。