普段の自分とネット上の自分

最近のコラムはほとんど「自分」のことばかりですが、今回もそうです。社会問題も書こうと思ってるのですが。コラムのネタは常にいくつか考えていて、まとまったものから書いてます。

さて今回のテーマに入ります。依然、このHPはまず自分のためにやっていると書きました。自分の読んだものや考えていることの整理のためにやっていると。今でもそれは変わりませんが、でも最近はHPを身に来てくれる人のことも意識します。このコラムの欄はそうです。

このHPは誰が身に来ているのかは具体的には分かりませんが、普段の私を知っている人からすれば、多少(ずいぶん)ネットからイメージできる芦田との間にギャップを感じるかもしれません。「普段の芦田はこんな奴じゃない(笑)」と。まぁ、どっちが本性かといえば両方とも私の本性なのですが、どっちかといえば根本的にはネット上の芦田が本物かなと思います。

じゃ、なぜそれを普段出さないのか?その答えは「大学生として「浮く」から」でしょうか。普通に考えて、大学生の学力低下が叫ばれるこの時代に、普段の生活で「固い」話してたら変でしょう。相手がそういう話をしてきたらその時は答えますけど。ですから、普段の生活ではもちろん「封印」。授業でも基本的に「封印」。授業の受講生ってたいして専門知識のない「お客様」だと思うし。単位取得の関係で来てる人が大半ですから。そこで本性を出せば、「すごい」と思ってくれる人もいれば、「何だアイツは?」と思う人もいる。でも、ゼミではそこに集まってくるのは自発的に勉強しようという人達ですから、普通にけっこう「固い」話しますね。

例を挙げて言うとこういうことです。。例えば、プロの格闘家が道を歩いている人にケンカをふっかけて、勝ったとしてもショウガナイですね。社会にとってはむしろ害です。プロの格闘家はリング上で実力を出すもので、普段は影で練習するもの。道でそこらの人と戦うなんて、勝っても無意味です。

同じ理由で私も普段は普通に過ごしていたいのです。私が普段考えていることは、馬鹿なこともやりつつ、人を楽しませよう、笑わせようということです。勉強すればするほど、馬鹿なことをして打ち消そうとします。「稲は実れば実るほど穂を垂れる」、カッコ良く言えば「能ある鷹は爪を隠す」。やはり普段は他人へのサービス精神を持っていたい。そうして他の人と良好な関係を築ける人の方が、人間関係でトラブルを起こす人よりも、持っている才能が開花すると思います。才能やセンスがすごくある人で、あまりにもそれを表に出すひとは最初、すごいと思われますが、そのうちまわりの人間から疎まれて引っ張り落とされたり、人間関係が悪くなって才能が開花しない人っているじゃないですか。例えば政治家の小沢一郎氏やジャーナリストの菅沼栄一郎氏。その他、身近なところでもいますよね。そういう人。

最後に僭越ながら言うならば、才能は人との関係の中でこそ開花するのです。