生活のための勉強、研究のための勉強

今日は勉強の種類です。私が普段している勉強というのは基本的に生活のための勉強です。その内わけは読書日記にあるようにかなり多岐にわたっています。政治、経済、社会、メディア、教育、性愛・・・などいろんなことを勉強しています。読む本は、もちろん専門である経済という分野や専門に準ずる政治、社会という分野では専門書も読みますが、それ以外の分野では普通の書店で買える本がほとんどです。私はもともとがジェネラリスト志向の強い人間です。もっとも、様々な分野を勉強することは生活する上で意義があると思われます。なぜならば、「政治」、「経済」といったカテゴリーは学問上のもの―といっても最近はその境界も定かではありませんが―であり、普段の生活においてはそんなカテゴリーを認識して生きているわけではないからです。社会にはいろんなバックボーンの人がいます。よく生きるにはいろんな勉強をした方がよいと思います。

一方、研究のための勉強というのもあるでしょう。一介の学生とはいえ研究をおこなっている者として、手っ取り早く研究成果を挙げるにはその分野―金融や財政など―の限られた範囲を勉強するのが良いでしょう。実際に自分が研究という世界に触れてみて、研究という世界は非常細かい、狭い世界であることを強く感じました。専門の論文を読むのはそれはそれで面白いのですが、そんな細かいことを身に付けるならもっと他の事学べばいいのになんて考えてしまいます。これは職業人にも言えることではないでしょうか。これから職や何で生活していくのかを考えると、明らかにスペシャリストの方が「職」という観点から考えると有利であると思います。証券アナリストが教育のことに多少詳しくても証券アナリストとしては役に立たないでしょう。

こうして考えると、「普段の」私にとっては色々知っておくほうがいい。町や実際の社会ではどこでどんな人と会って話すか分からないですからね。しかし、「○○」という肩書きがついたとたん、その専門知に詳しい方が職業人として優秀である。そのジレンマはしばしば私も感じます。結局は両者のバランスが重要なのでしょう。いわゆる「T型」の知ですね。

この「T型」知について「大学教育」から考えた場合、最初は様々なことをやるのがいいと思います。どれを専門にするのかいきなり決めるのは大変ですから。少ない情報の中で「エイ!」と大学入試で決めた学問(経済学部なら経済)が自分にあってるかどうか分からないですからね。したがって、大学(特に1、2年生)は様々なことが学べる所を選ぶべきなのでしょう。アメリカでいうリベラルアーツ大学ですね。スティグリッツのいたアーマスト大とかです。日本では慶應SFCが代表的です。そして学部上級や大学院修士でやっと専門を学ぶ方がいいと思います。私は今慶應SFCにいますが、今の専門である経済をきちんとやり始めたのは2年の秋学期からです。それまでは最初書いたようないろんなことをやってました。慶應SFCはいろんなことが学べます。興味が変わってもそれに対応できます。私自身はSFCが研究機関として優れているかどうかは不明ですが、教育機関としては優れた所だと思います。リベラルアーツ大学といっていいでしょう。しかし私は大学院は他の所に移ろうと思います。大学院は教育というよりは研究するところですから。

つまり、職業人・研究者として成功するために専門知を学ぶ必要があることはもっともですが、それ以前に社会人として様々なことを学ぶべきだと思います。理想は「T型」の知です。そのためには大学で幅広く学び、大学院で専門を磨く方法を挙げました。長期で見た場合にこれが一番言い方法だと思います。それでも究極的にはどっちかといわれれば、職業人・研究者である以前に、人としてよく生きる方が大事ですからいろんなことを勉強をすべきだと思います。学問は楽しいからやるものです。学問は高級な遊戯であると言えます。その遊び方を覚えた人はそうでない人に比べ有意義な人生が送れるでしょう。