自民党総裁選について

はじめに
 今現在では、支持率80%越えという驚異的な状況を誇っている小泉内閣であるが、そのような未曾有の内閣が生まれた過程を分析しようと思う。つまり、事実上の総理を選ぶ自民党の総裁選実施決定までの過程である。小泉はかってから、国民的人気はいくら高くても、自民党内では総理にふさわしくないとされていた。そして過去に出馬した総裁選では最大派閥橋本派小渕派に派閥の論理によって2度敗れ去った。だがとうとう小泉首相を生み出した今回の自民党総裁選。その総裁選の枠組みを決定した自民党首脳は何をねらい、何を考えていたのか?どうして小泉に有利となるような、地方予備選を行なうことになったのか?また自民党との連立与党を組んでいる公明党・保守党は自民党首脳の決定までにいかなる影響を与えたか?公明党・保守党の意図は何だったのか?そして民主党を始めとする野党は総裁選実施決定までにどういった行動をとったか?そしてメディアはどんな報道をしたか、また報道により影響を与えたのか?本レポートは、こういった事柄を、組織過程モデルを用いることによって、分析する試みである。

 場面1(内閣不信任決議案否決まで)
総裁選が実施されることに決まったのは4月の頭という比較的遅い時期であった。では実施決定に踏みだした第1歩は何だったのか?私はえひめ丸の事故だったと思う。当時の森首相は度重なる失言に代表されるように、国民の支持をほとんど受けていない状況だった。もともと小渕元首相が倒れたときに、5人組という自民党の一部によって、密室から生まれた総理だったから、支持率は大変に低かった。これまでの自民党の政治を代表するような決定過程、つまり情報を公開せず、ごく一部の有力者の利益問題がらみて、ことがおこなわれる過程だったからである。そんな森首相もえひめ丸事故までは過剰ともいえる、数々の森バッシングにもどこ吹く風で、低空飛行とはいえ政権をなんとか担ってきた。これをメディアは「低空安定飛行」と皮肉ったものだ。だが、えひめ丸事故における、対応のまずさは森政権を事実上、終わらせたといっても良いのではないか。そしてさらなる追い討ちがメディアによる「ゴルフ会員券無償で譲渡された疑い」の報道であった。これこそまさに、泣きっ面に蜂である。さらに政権にたいするイメージが低下してしまった。これは森内閣にとって致命傷であったと思う。事実、2月19日の朝日新聞はとうとう支持率9%という驚異的に低い支持率を発表したのだ。この頃に来てついに低空安定飛行が墜落は時間の問題という状況になった。メディアによって表面化していないにしろ、この頃からは水面下では森おろしが始まっていたのであろう。なにしろ、いくら森本人が政権維持にさらなる意欲を見せているとはいえ、このまま森首相に政権を続けられたのではまず選挙に勝てないことは誰の目にも明白であり、前代未聞の大敗まで喫する可能性まで出てきた。また連立政権をともに組んでいる公明・保守両党にとっても、このままでは森首相の影響で自分の党の議席が減ることだって、連立政権を担っている限り十分ありえる。森政権に貢献した報酬で共同責任を取らされたのではまさにたまったものではない。そして死に体である森政権を更なる追い討ちが襲う。5人組という森首相の生みの親であり、元労働大臣の村上正邦がKSDに有利に働くよう国会で取り繕った報酬として、KSDに党費を肩代わりさせた一連のKSD事件をめぐり、証人喚問され、結局逮捕されたのだ。この事件で、連立与党幹部からも、「森首相にも責任はある」との声が聞かれますます森首相の立場は苦しくなった。同時期になって、とうとう連立与党を組む公明党の神崎代表が森首相に進退を促すような発言を始めた。森首相に対しては、野党のみならず、身内である公明党からも退陣要求が実際の声として挙がってきたのだ。これはまさに連立内閣という組織の中で、公明党にとって森首相にはやく退陣してもらうほうが、そのまま政権を維持されるよりも公明党と言う組織にとって利益があるということを意味している。つまり、たとえ森政権との関係が悪化するとしても、はやく政権運営をあきらめてもらう方が、公明党という組織にとって利益があったのだ。同じく、数日送れて、今度は連立与党を組む保守党の扇党首も公明党に続き、森首相に自民党大会前の退陣を期待する声明をだした。保守党にとっても、森首相にはやく退陣してもらうほうが自分の組織にとって有利だったのだ。そう判断したからこそ、森首相に退陣要求を突きつけたのだ。メディアもこれを受け、「首相、来週にも進退を判断」と大文字で新聞に発表した。これで世論にも「森首相が退陣するのは時間の問題であるとの認識が広がった。まさに森首相にとっては、四面楚歌である。一方、この頃野党は、内閣不信任決議案の実行に向け話し合いをもっていたが、鳩山民主党党首と小沢自由党党首の間にこの時期に提出すべきなのかをめぐり、考え方のズレがみられた。鳩山にすれば、ここで民主党に代表される野党の存在感を示しておきたかったのだろう。また野党という組織のSOPを実行する必要性を感じたのかもしれない。村上の逮捕という自民党にとってはピンチである時期につけこみ、また今提出せねば、首相退陣が早まった場合提出時期を逸する可能性があると考えたからだ。だが、小沢にとってはこの時期に内閣不信任決議案を出すのは適当ではないとの考えがあったのである。また、仮に不信任決議案を出したところで、永田町の論理が働き形式上否決されることは明らかであり、それでは不信任決議案そのものが形式化するからだ。そして何より、野党第1党の党首、つまり野党代表として、鳩山の力量に疑問をもっていたのではないか。こういった早期提出反対論は共産党の志位委員長からも聞こえた。しかし結局、3月5日午前、とうとう民主・自由・共産・社民の野党は足並みがそろわないまま、内閣不信任決議案を国会に提出した。だが、午後内閣不信任決議案は当初の予想通りあくまで形式上(国会の運営上)否決された。この決議案をめぐり、自民党内では、加藤の乱をまきおこした、加藤元幹事長と加藤派の数人が欠席した。いまさら不信任決議自民党員として反対すれば、それこそ加藤政局は何だったのかということになり、ますます加藤の評判が下がるのは明白だ。だが、逆に仮にもし賛成すれば自民党員である以上、やはり何らかの不利益を被ることとなる。そこで不信任決議案に欠席するのが、形は欠席であるが事実上賛成を表明することになり、たとえ執行部から何かいわれても弁解しやすい。こういった合理的思考が加藤の頭にはあったのだろう。またここでも利害をともにするはずの組織内に組織対立が見られる。さて、この否決により、森首相は「私は国会(国民の代表)に信任され、ますます意欲的に政権を担っていきたい。」と発言したが、一方公明神崎代表は「進退を促す」と間接的に退陣を要求するのではなく、「否決は必ずしも信任を意味しない」とはっきりと「退陣」を期待する発言をした。同様の発言は野中広務に代表される自民党内からも聞こえてきた。依然として、森首相に対しては、支持する声は圧倒的に少ないままである。

 場面2(総裁選4月実施にほぼ固まるまで)
あくる日、6日の新聞報道では、都道府県連幹部の過半数不信任決議案否決を受け「首相は一刻も早く退陣すべき」と述べ、本格的総裁選を求める声を挙げた。また同日、自民党出身の高村法務大臣が首相の退陣を要求する発言を行なった。とうとう野党、連立与党を組む公明・保守両党だけでなく、身内である自民党内からも退陣要求がでてきたのだ。しかも現役の大臣の口からである。このことは自民党のかなりの部分が森首相の退陣を期待していることを反映しているのではないか。さすがにこれは強気の姿勢を見せていた森首相にも何らかの影響を与えたと思われる。そして7日には朝日新聞が「森首相、辞意固める」と報道。しかし、公明幹部は辞意報道に対し「森政権には感慨なし」と「森首相が辞めるのは当然だ」ともいわんばかりのそっけない対応をみせた。このころははっきりと森政権と距離をとり、あらたな政権に期待する姿勢をみせている。そして野党は不信任案否決にもかかわらず、与党が森おろしを行っていることについての自民党を中心として与党の矛盾を批判した。だが、当の森首相本人はすでに退陣を意識していただろうし、公式の場では退陣を否定したが、その背景にはいまだポスト森は全くの白紙であり、またその後継選びも難航しているため、党にとっても今は何も言わない方が利益が大きいと考えているからだろう。退陣否定は自民党にとって、後継選びのための時間稼ぎでしかなかった。この頃、森おろしをおこなうのと同時に、自民党の党執行部は衆参両議員と地方代表で総裁選を行なう考えを持っていたと同時に、不信任欠席の弁明書を加藤元幹事長らに求めた。9日には、森首相の退陣時期の調整が大詰めになり、裏では森首相は党執行部と退陣次期について最終確認を行なった。また橋本派からは早期退陣を求める声があがった。メディアは野党が次の手として、首相問責決議案を12日にも参院提出する可能性を報道した。10日には、外務省元要人外国訪問支援室長の松尾克俊が逮捕された。このことは外務省の体質の問題であり、森首相とはある意味直接関係がなかった。しかしここでもメディアによって、森首相の評判はますます落とされることとなった。野党は機密費の使い方を明らかにするよう批判を行い、公明冬柴幹事長は「機密費のあり方について議論をすべき」との声明を発表した。11日、森首相は自民党執行部と話し合い、総裁選を参議院選挙前に繰り上げる意向を示した。公明・保守両党にも事実上の辞意を示した。しかし、一方メディアに対しては、森首相は表向きは退陣を否定した。この話し合いでは、党執行部は4月中旬までに新総裁選出する前提で実現したい考えであった。また、時間的、資金的に見て党友・党員が加わる本格的な選挙の実施は困難と考えていて、自民所属の衆参国会議員と47都道府県代表による略式選挙になる見通しだ。ただ何らかの形での地方票を拡大する方針も検討している。密室で森首相が誕生したとの批判が最後まで政権に影響を与え、それに対して今度はオープンな政治をアピールするねらいなのだ。これを受けて、メディアは「首相が退陣の意向表明」をしたとして、後継総裁候補として政策・手法が対照的な2人、つまり公明党とのつながりの強さを考え「野中広務官房長官」、また国民的に人気のある「小泉純一郎厚生大臣」両者の名を挙げた。また総裁選挙は国会議員と都道府県代表によって行なわれる簡略型になるとの予想を行なった。そして、密室政治に対する批判のなかで、地方代表が「党員1人1票」を求めている、と報道した。この地方代表の意見に影響しているのは、「より世間にちかい我々が世論を反映したい」「地方の声を反映したい」「もう密室で決定するようなことはなくしたい」ということだろう。またこの頃、日曜朝を中心とした、政治系のテレビ番組でもさかんに密室決定を批判し、今度は地方の声、世間の常識を反映するよう議論がかわされていた。13日には、自民党大会が行なわれ、森首相は総裁選を「幅広い意見を反映しうるような形で繰り上げて実施する」と語り、「総裁選の繰り上げ」と「地方票の拡大」を示唆した。また、首相は事実上、退陣の意向を改めて表明した。自民党大会で退陣を宣言すれば、表向きは否定できる一方で、伝えたい人には辞意がつたわるというメリットがあったのだ。あくまで玉虫色の物言いではあったが。メディアは「9月にも再度総裁選が行なわれるであろう、つまり次期総裁は9月までの暫定総裁であり、再度9月に本格的に政権を担う総裁を誰にするか、じっくり話し合うべきとの考えがあるということ」と、「自民都議会が独自に総裁予備選を行なう可能性がある」ことを伝えた。一方、野党は問責決議案を提出した。野党はとうとう最後の切り札を切ったわけだ。この頃自民党内では、公式では首相退陣を否定しているように、後継選びが難航していた。野中は公明・保守両党から待望論がでているものの、5人組の1人であったことがマイナスである。青木参院幹事長も来る参院選を考えて、野中首相は避けたい意向である。もし野中が総理になれば公明・保守両党の支持は篤くなるものの、野中が5人組の1人であったことから、選挙には勝てる見込みが少ないこと、そして選挙に負ければ選挙を取り仕切る青木自身の責任問題になり、野中・青木共々責任を取らされることになりかねないからである。ここで橋本派内の実力者2者に乖離があらわれた。小泉も森派の会長であるいじょうは、表向き森首相が退陣否定を行なっていることから、目立った動きは起こしにくい模様だ。メディアは自民党幹部が「次期総裁の任期は9月までである」、と語っていることを報じた。14日には与党の矛盾を突く意味で、前日提出された問責決議案が否決され、野党は次の1手を探ることとなった。ここでも与党はうまく表裏を使い分けた。自民党内の動きとしては、亀井静香野中広務が総裁選の時期は緊急経済対策を優先すべきとの考えから、「連休明け」が望ましいとの考えを示し、一方古賀幹事長や堀内派の堀内会長は総裁選を4月に行なう考えを確認した。他方、小泉純一郎山崎拓が、「次期総裁が暫定総裁とはおかしいし、国民に失礼」と、9月再総裁選論を批判した。また、公明党が総裁選は予算成立後に行なうよう求め、遅くとも4月下旬までには実施されることを期待する考えを示した。保守党幹部も首相の早期退陣を求めた。読売新聞によれば、党執行部はやはり「新総裁の任期は9月まで」、「党員・党友を省いて、国会議員と県連代表で投票」という2つの考えをもっていることを伝えた。15日には、亀井政調会長が総裁選挙先送り論を展開した。その背景には、亀井自身が勤める政調会長として、みずから推し進めてきた景気対策を継続するためにも総裁選は先送りしたかったはずだ。それがみずからの利益なのだから。つまり、政調会長として影響力を発揮するためには、森首相にできるだけ長く政権を担ってもらいたいとの考えがある。また、野党4党は問責決議案が否決された後、政権協議を行なったが物別れに終わった。正直、内閣不信任決議案と問責決議案をもう提出してしまったから、打つ手がなくなったとも見える。16日には、ようやく自民党執行部が総裁選を「4月実施で」との考えを示した。こういう決定はどういう過程でそうなったのか?さきほど述べたように、亀井と野中は総裁選は連休明けの5月に実施されるのがのぞましいと考えていた。一方、自民首脳の中で総裁選は4月実施が望ましいと考えてまたのは、古賀幹事長、青木参議院幹事長であろう。彼らは森政権と距離をおき始めた公明党・保守党との連携を来る時期連立政権に向けて強化したかったはずである。そのため、公明・保守両党が求めていた、総裁選早期実施要求を受け入れる必要があったのだ。だから彼らは総裁選4月実施に向けて懸命に動いたと思われる。あとは世論の調子から判断して、森政権が5月までとても持ちこたえそうになかったからという理由も1つはあるだろう。だから総裁選を4月実施に持っていったのではないか。また先送り論だった実力者野中も経済対策をしっかりやるなら、総裁選の次期にはこだわらないとの考えに変わったことも4月実施に動いた1因である。野中にとって、自分を支持してくれている公明・保守両党が4月実施をもとめているし、実際今の森政権では有効な景気対策は見込めそうにないとの考えから、総裁選の時期を連休明けから4月実施にかえたと見られる。他方、野党の動きは活発化し、「選挙管理内閣構想」もありえることを示した。

 
事実経過(具体的な構想ができるまで)
17日の朝日新聞は首相辞任と総裁選の次期が大体固まったのを見て、小泉が出馬の構えであることを伝えた。この小泉の行動の背景には、1.参院議員の間に「参議院選挙の顔」として小泉待望論があり、2.次の総裁選が地方票を増やす方向、つまり国民的に人気のある自分にとって有利な方向で検討されている、3.敵となるであろう最大派閥の橋本派が候補者選びで難航している、ことがある。そして青木参院幹事長も参院選にとって有利との見方から小泉を支持する方向である。一方、総裁候補として名前が挙がっている野中の出馬にとって、橋本派が足かせであると分析した。つまり、野中自身は表では自身の出馬を完全否定するものの公明・保守両党の支持を見越して、内心はかなりやる気を持っていると見られている。しかし青木参院幹事長は5人組の1人である野中では参院選は戦えないとして、参院選を考えて野中首相に難色を示している。また野中は同日、郵政民営化を批判し、自身の出馬は否定した。これは明らかに小泉の持論である郵政民営化を指している。すなわち、野中は小泉の出馬をけん制したものであるのはあきあらかだ。そして郵政族の実力者である野中にとって、小泉の掲げる郵政民営化は自分の利益のためにも絶対に飲めないものである。郵政民営化が実施されれば、自分の票田のみならず自民党の集票マシーンがつぶされるからである。これで小泉と野中の対決姿勢は明らかになり、他の自民党員もまきこみ、郵政民営化をめぐって争議がありそうだ。翌18日、森首相は総裁選先送りを否定した。また公明党神崎代表も総裁選の早期実施を求めた。これで総裁選4月実施の流れはほぼ決定付けられた。19日には、森首相は「総裁選時期、執行部に一任」との考えを示し、執行部の4月実施を受け入れる方針で自身は緊急経済対策に専念する考えであった。また、野中は出馬を改めて否定した。もしここで野中が出馬の可能性を言及すれば、小泉の出馬に理解を示している青木参院幹事長と小泉出馬に否定的な野中自身との間で、最大派閥の橋本派が実力者2人のどちらにつくかをめぐって、2分されることもありえるためである。そうなると派閥の論理という力の政治を主な手法にして、自民党全体が決定する政策に影響を与えてきた橋本派の力が低下することは必至であり、また経世会の流れをくむ派閥を解体させるようなことは律儀な人物として見られている野中自身ゆるせなかったはずだ。他方、公明冬柴幹事長18日のテレビで小泉首相に難色を示した。なぜなら、小泉は森派会長であったが、政教分離が完全でないとの理由により、連立を組んでいるとはいえ公明党に対して実際、心の中ではあまり良く考えていないと見られていたし、実際はそうなのだろう。それを受けて公明党小泉首相に難色を示したのだろう。そして公明は小泉と対決姿勢を示している野中を支持したい考えがあるからだ。公明党にとって何をするか分からない小泉よりも、きちんと公明党に気配りをしてくれる野中の方が望ましいのはあきらかである。またメディアは神奈川県連が「予備選実施」を決定したことを報じた。こうした報道によって、地方予備選実施の潮流が他府県でも起きはじめた。21日には森政権の生みの親の1人、村上元労相が起訴された。小泉と野中は党行政改革推進本部役員会議で、「郵政民営化」をめぐり表面上意見の一致をみせかけたが、実際は互いをけん制した。そして公明・神崎代表は郵政民営化を批判した。こうして、公明と小泉元厚生相との対立は明らかとなった。22日には橋本派は「誰を橋本派からの総裁候補として出すのか」について、当選回数別に意見を聴取し、江藤・亀井派は「亀井氏擁立を」という動きを見せた。堀内派は若手議員から総裁選において、党員投票を行なわれるのが望ましいとの意見が出た。民主党は「郵政」で論議開始した。読売新聞は小泉氏が出馬を固めたと報じた。23日には、自民古賀幹事長が2段階総裁選を表明した。つまり、先ず地方予備選を行ない県代表が投票した上で、次に国会議員による投票を行なうと言うものである。また9月に改めて総裁を選出すると表明。これはまさに次期自民総裁は9月までの暫定総裁であり、参議院選挙が戦える人物を想定していたのだろう。裏を返せば、森首相では来る参議院選挙はとても戦えない。だから自民執行部にとって、参議院選挙さえ乗りきれれば、それでお役御免にできるような人物がベターなのだ。そんな人物といえばやはり野中よりはずっと小泉純一郎の方が適任なのだろう。また都道府県代表の票の拡大も示唆した。これは地方から自分達の声を反映するよう強く要求が出されていたこと、また実際に独自で予備選を行なうことに決めた県も出てきており、これからもそういった都道府県の出現が十分に予想されたことが影響しているのではないか。そして朝日新聞は自民支持率が22%であることと、小泉が出馬の動きを見せ、それに関連して郵政族野中が郵政民営化をけん制したように、また野党も郵政民営化について議論を始めたことなど、郵政民営化論議が再燃していることを伝え、世論調査で次期首相にふさわしい政治家として小泉純一郎が1位、田中真紀子が2位であると報じた。森首相は自身に向けられた密室で誕生した総理との批判から「次の選挙はオープンにやるべき」と語ったが、党内の党員参加型選挙の要求には「党員参加型できちんとやれば、3ヶ月くらいかかる」として簡略型の総裁選を行なうよう主張した。24日には森首相は遠征先のロシアから、小泉の出馬に関して同じ森派からまた総裁候補をだすのはどうかと、自重を促した。また古賀幹事長はできるだけ党員・党友の声は反映すべきだが、政治空白は絶対に招いてはいけない以上、実際は限られた時間で全党員が投票することはきわめて困難である、と講演会で語った。25日、YKKの1員である、加藤は前日森首相が小泉に行なった出馬自重発言を批判した。メディアは自民若手を中心に小泉を支持する声がある一方、派閥内で小泉に対する風当たりが増してきており、また野中の徹底した「出馬はありえない」との発言に、橋本派が総裁候補として麻生ら「第3の候補」を擁立することもありえて、橋本派の動向に注意が必要であると伝えた。そして民主党議員立法を目指していることも伝えた。26日、新年度予算がとんとん拍子で成立した。また機密費の減額はなく原案通りの成立だった。ところで、保守・公明両党は橋本派を側面支援する考えを示した。この時点では、事実上野中支持を打ち出したということだ。だが肝心の橋本派内は一本化されていない。野中は依然として出馬を固辞する姿勢を崩しておらず、橋本龍太郎元総理の再登板も派内では有力なカードと認めつつも慎重論が強い。一方、麻生ら第3の候補を支持したほうが橋本派にとって得策との意見も強い。これはもし例えば野中等、橋本派の総理で参院選に負けた場合、総理と青木参院幹事長とで橋本派が全ての責任を被る形になり影響力の低下は免れないからだ。また同日、千葉県知事に無党派堂本暁子が当選し、自民・民主両党ともに敗れ、両政党離れが浮き彫りとなった。27日は、自民党の実力者青木参議院幹事長が県連独自の予備選を容認する考えを示した。また、首相案として地方票拡大と県連予備選実施する案が提出された。これで、森首相、古賀幹事長、青木参議院議長の動きから県連独自の予備選を実施する方向へ固まり、また地方票の拡大の流れも強くなってきた。読売新聞は橋本龍太郎元総理擁立に向けて、橋本派が派内集約へ向かっていることを伝えた。28日にはようやく、自民総裁選が4月22日に行なわれ、23日には新内閣が発足すること、国会議員と都道府県代表による選挙であること、都道府県代表の票を2票又は3票へ拡大すること、を決めた。総裁選が22日に行なわれるのは、22日が日曜であり、平日には国会があるため、もし平日投票にすれば国会へ影響が出るとの判断からだ。党員・党友が投票する方式は時間的に困難との見方から執行部が難色を示し、そのかわり地方の予備選を容認することで地方の声を汲み取る方針で、また出馬するための推薦人を20人に緩和することが決定した。推薦人の緩和は派閥政治批判に対する対策であろう。また朝日新聞は「派閥の論理」が小泉氏に立ちはだかるであろうと伝えた。つまり森派会長である小泉が仮に総裁に立候補すれば最大派閥橋本派との関係悪化は避けられず、森派が一気に非主流派に落ちる可能性がある。したがって森首相とすれば、自分が身を切りつつ、必死の思いで維持してきた派閥を守りたい一心である。こういった小泉への出馬自制論が森総理を中心に、森派には強いというわけだ。読売新聞は田中真紀子が小泉事務所を訪ね、「出馬するなら応援する」と小泉支持の考えを表明したことから、小泉・田中真紀子の2人でタッグを組んで選挙に臨む可能性があることを伝えた。29日には、自民都連が予備選実施を正式に決定した。これでますます独自に予備選を行なう流れが強くなった。30日は松尾元室長が起訴された。メディアは独自候補求める声もあることを伝えた。つまり、青木参院幹事長は「参院選を控えて政治空白を作ることは出来ない。参院選を前に政策で大きく対立して党の支持団体が分かれるような総裁選にすべきでない。」と述べた。橋本派からは独自候補を出すよう求める意見が鈴木宗男総務局長からでた。森派からも若手を中心に小泉の出馬を促す意見が出た。31日、自民古賀幹事長は野中氏を政権の真中に置く内閣を求める発言をした。読売新聞は江藤・亀井派に橋本氏容認論があることを伝えた。4月になり、3日メディアは総裁選について「明日4日にも協議される」と報じた。また麻生が出馬を検討していることも伝えた。4日には、総裁選が実質始まった。森首相は公式に退陣を言及した。森・古賀会談では「予備選をおこなうこと」「地方の持票を3票に増やすこと」「連休前に新内閣が発足するようにすること」を話し合った。5日は、24日が投票日となること、26日に首相が指名されることになった。メディアは最低35の都道府県で予備選が行なわれることと、橋本派、江藤・亀井派堀内派の各派閥が「橋本氏」で集約しそうなことを伝えた。6日には、とうとう総裁選の具体的内容が定まったというのちのちへのレールを敷き終わったことから、森首相が正式に退陣を表明した。

まとめの分析
今回の総裁選実施決定のなかで、キーパーソンとなる人物がやはり存在する。橋本派を代表する、実力をもった2人、青木参院幹事長、野中前官房長官である。この2人の考えが一致していれば、もっとすんなり総裁選の日程、方式が決まったのではないか?この2人の考え方を分析したい。

まず青木参院幹事長である。青木は参院幹事長であるため、次の参院選挙を取り仕切る最高責任者である。そんな立場にある以上、参院選挙では必勝の体制で臨まねばならない。そんな青木にとってもっともふさわしい次期総理はやはり小泉純一郎である。小泉は国民的に人気のある政治家であり、彼の持つ「改革派」としてのイメージは現在日本が陥っている経済不況の中でこそ有効に機能することが見込まれる。だが小泉を次期総裁にするために立ちはだかるであろう最大の敵は、青木自身が所属する100人を超える議員を持つ最大派閥橋本派である。もし橋本派、つまり野中が派閥の論理を利かせて、他派閥の江藤・亀井派堀内派の締め付けにかかれば小泉総裁が誕生する見込みは限りなく薄くなる。また小泉の所属する森派は60人程度、さらに森派のなかで、小泉支持をしそうな人数といえばもっと少なくなる。さらに森総裁に続きまた同じ森派から総裁が誕生すれば、橋本派をはじめとした他派閥の国会議員からの非難は避けられない。順番に総裁つまり総理や各大臣などの役職を回していくことが、自民党のなかでの暗黙のルールだからだ。こういったハードルが小泉を総裁にするにあたって存在した。そこで予備選を行いさらに地方票を3票に拡大することで乗り切ろうとした。また森自身がこの方式を提案したこともある。この政策のメリットは次の通りである。まず、森総理が5人組というごく一部の自民幹部によって誕生したという批判は最後まで森首相に付きまとっていた。そんな世論に答える意味でも地方の声を吸い上げることのできる地方予備選を実施し、票も3票に拡大するほうが小泉総裁誕生にとっては有効である。世論が支持しているのは、小泉であって橋本龍太郎野中広務ではないからである。本当なら、党員・党友が投票する方式のほうがさらに適切であったのかもしれない。しかし、それには時間がなかった。連立を組む、公明・保守両党が総裁選4月実施を強く求めているからである。自民には公明・保守両党の意見を蹴ってまで総裁選挙を連休明けにするメリットはない。そして4月実施で簡略型で実施しても、青木の考える以上のような効果はみこめると考えたのだろう。簡単に言えば、青木は自分が責任をもつ参院選挙さえ乗り切ってくれれば小泉にはお役御免でよかったのである。小泉が自民党にとってふさわしくない総裁であることは青木だって十分わかっている。こうして青木は地方予備選に実施、地方票を3票に拡大すること、総裁選4月実施を進めたと考えられる。

 一方、野中は公式の場では自身の総裁選出馬を否定していたものの、内心は首相の座を狙っていたと思われる。また公明・保守両党は野中が総裁選に立候補するよう求めていた。おそらく、それを受けて古賀幹事長も「野中さんを頂点とする内閣」発言にみられるように、野中総裁を望んでいた。しかし野中は森首相を生み出した5人組の1人であったことから、世論は野中が首相になることを望んでいなかった。だから野中にとっていくら新聞紙上などのメディアで「次期総裁候補」として騒がれようが、決して出馬の姿勢を見せてはならなかった。また小泉がいくら人気があろうとも最大派閥橋本派の力をもってすれば、江藤・亀井派堀内派をとりこんで、過去2回のように小泉に勝利できる公算があったのだろう。ただ今回は密室批判の対応のなかで地方予備選が行なわれ、また自民党大会での地方代表のたびかさなる党員・党友投票を求める声に答える意味で、地方票が3票に拡大されたことは野中や橋本派にとって明らかにマイナスだった。しかしそれを考えても、野中は橋本派を使って総裁選に勝てる見込みがあったはずだ。経世会橋本派の「力の政治」には絶対の自信をもっていたはずである。なにしろ無敗だったのだから。いくら地方が小泉に投票しようが、結局国会議員の投票で勝てるとふんでいたのであろう。だから次の総裁選においては、地方予備選を行なうこと、地方票の3票拡大を容認・したのではないか?しかし野中にとって予想外だったのは、江藤・亀井派から亀井静香が総裁選に立つ方向に動いていることだった。これで当初考えていた江藤・亀井派の支持が受けれらなくなった。また橋本派のなかでも、橋本龍太郎が再度総理になる意向があることが、野中総理にむけては壁となったのだろう。野中が実力者とはいえ、仮にも派閥の長を押しのけて出馬するわけにはいかないだろう。そして野中が思った以上に小泉を求める声があった。ここで野中は自分が出馬するかわりに、橋本を出す方向へ変わったのではないか。どうせ次期総裁は9月までの暫定総裁である。だったら、自分に不利な中、無理して今回出馬するよりも9月の総裁選で自分が万全の体制で出馬して、確実に総理になる方が得策である。こうした意図が野中にはあったのであろう。

こうして今回の総裁選をめぐる青木と野中という、橋本派の大物2人の対決は、今回は青木に軍配が上がったとみてよい。そして両者ともこれまで無敗だった橋本派の初敗北は覚悟していたのだろう。そんなメンツよりも、自分の利益のほうが大事だったのだから。
レポートを作成してみて
 今回のレポート作成にあたっては組織過程モデルで作成したが、その際感じたことは「総裁選をいつに実施するのか決定する」、という政策過程1つとっても組織どうしで利害が対立し、また橋本派という同じ組織のなかでも青木と野中では求める利益がちがうことから事実上の衝突が起こったということである。そして、自分のおかれている立場によって利害が異なることから、主張する事柄が異なるということである。つまり立場がその人の意見、考えを決めていることだ。 これは何も政治の世界に限ったことではない。私達の所属する組織においてもあてはまることである。そしてみんながみんな満足するような結果はなかなか得られないことだ。一致をみるには誰かが妥協せねばならないことを、今回のレポート作成を通じ感じた。

参考:
日経新聞2、3、4月号

朝日新聞2、3、4月号

読売新聞2、3、4月号