大学生活と勉強

ああ、「頭の中身*1」書くの久々だ。今日は大学生活。世間では「モラトリアム」。もっというなら「受験勉強も終り、社会にでるまで遊ぶ期間」、と思われている。

私にとっては、やりたいことをやれる時間(自由時間)が一番ある時期。じゃ、そこで何をするか?ってことになるが、読書(あくまで勉強のためだから小説は読まない。語弊があるかな?)と音楽に行き着く。でもメインは前者。そもそも、日吉を出たのは日吉キャンパスのあの「勉強の「べ」の字もない雰囲気」が耐えられなかったし嫌いだったから。たまに行くのはいいんだけど。

世間ではたぶん大学生活って、サークルしてバイトしてテキトーに遊んでおしまい、になるんだろう。それでも、ただぶらぶらして終わるよりは全然ましだけど。でも、そういった「サークルしてバイトしてテキトーに遊んでおしまい」というぐらいの大学生なんて、いっぱいいるわけじゃない。やっぱり何かヒトとは違うことを大学生活終わった時に見せたいと思う。それは自分の場合は「勉強」になる。「勉強」っていう言葉も、なにか「受験勉強」を連想させるから使いたくはないけど、「学問」という言葉は今の自分の実力ではおそれ多くて使いたくない。もっというと使う勇気がない。そこで、たまに人から「なんで勉強するの?」「おもしろいから?」「将来、役に立つから?」って聞かれるけど、私はそういうとき「両方」と答える。「勉強が楽しい」なんて、変と思うかも知れないけど、僕だって「おもしろい」と感じたのは本格的には大学入ってから。つまり大学入って、自分で「テストには関係ない」勉強をはじめてから。今でもテスト勉強は好きじゃない。高校時代とかはどうしても「テスト」「大学受験」が離れなかったから。

あとサークルとバイトは「対人コミュニケーションによる広い意味での勉強の場」と考えれば、優れているのは前者である。後者が基本的には「金儲け」の為だけど、前者は「自分のやりたいことを通して、他の人と関わって、意見の合わない他人とも付き合う必要がある。そして何かを産み出す場」つまり社会に出てからの状況と似ているからだ。たしかにバイトは実社会の1部で活動している給料ももらえるという点で、一見サークル活動より優れているように見えるが、実体は「だれにでも出来るようなルーティーンワークを低賃金でやらせている」だけではないのか。バイトの場においては、だったら別に主体が「わたし」や「あなた」である必要は無い。そもそもバイトレベルの経験が実社会(物事が動いている最前線)にでてから役に立つとは思えない。私は労働とは、「ある人の持っている時間という名のお金を働くという行為を通じて、実際の(目に見える形の)賃金に変換すること」だと考える。したがって、時間当りの価値としては、バイトで900円やそこらで働かされるよりも、読書やサークルを通じて勉強する方がはるかに価値は高い。大学生の時間は大学生である「今」しかないのだから。もう2度と戻ってこない。

またもっと具体的に「お金をもうける」という点に関して言えば、私は大切なことは目先の900円かそこらではなく、いかに実社会にでてから貰える賃金を増やすか、である。つまり、数学のXーYグラフでいうと、はやくグラフを書き始めるか(始点を X=0にちかくなるようにする)よりも、いかに傾きを増やすかである。実際には、大学生活の間に、稼げる賃金はせいぜい400万円程度(1年100万円として)だろう。400万という金額は、就職してから、退職するまでを約40年とした場合、1年間に10万の違いでしかない。したがって、学生時代に全くバイトをしていなかったとしても、他の人より10万以上多く貰えば、生涯獲得金は多くなる。だから、金をもうけるという点でも、学生時代には下手なバイトに手を出すよりも、政治や経済の勉強をするほうが、長い目でみれば圧倒的に優れている。

そうして、稼いだ金は十分に正当である。そもそも金儲けは資本主義の考えからすれば、正統な行為である。それにもかかわらず例えば最近、竹中平蔵経済財政担当大臣が「儲すぎ」との、ひがみまがいの批判をチャチな平等主義信仰者から受けているが、すくなくとも金儲けということに関して言えば、もっぱら正当だ。このさいはっきり言うが、若い頃から勉強して実力のある人が、バイトと遊びにあけくれた輩よりも多く貰って何がわるいのか。下手な平等主義は日本という資本主義の仮面をかぶった社会主義国家から払拭すべきだ*2

だんだん書いていることが、それてきたからここらで終りにするが、言いたかったことは「貴重な大学時代は勉強しましょう」ということ。終りの方で出てきた「平等」ということに関しては、またいつか。

*1:前のウェブ版T'z boxのコラムの名称

*2:今からするとこの時は競争するための前提が考慮されていない。今現在では機会均等を保障すべく財の再配分が行われるべきだと思う。