怒り疲れ

今日は生徒のおつかれさま会。3年間担当してきた生徒とも一応最後。

だが自分のような者が多感な時期に担当してきたのがよかったのかどうか。無理に勉強押し付けることはしなかったし、自分で考えるように指導してきたのは塾の中では少数だろう。無理に詰め込んで短期的に成績を押し上げるよりも、自分で机に向かわせることが長期的にプラスになると思ってきたから。生徒には立派に成長して社会に入っていって欲しいと思う。


ただ会の後、室長と進級責任者と信頼できる同僚と自分とで話。内容はここ1ヶ月のことで、連絡ミスのこと(詳しくはhttp://d.hatena.ne.jp/s01010ta/20060218http://d.hatena.ne.jp/s01010ta/20060225で書いたこと)。「担当者が自分の実績を気にするのは当然だが手段がおかしい」と、つまり「自分だけで担当しているのではないので話をしてもらってこちらが協力できることは協力したのに、勝手に進められた」こと、あとは「責任を取る=自分ひとりでやる」ではないと申し上げた。

ただ塾で久々に怒ったわけだが、怒るってものすごくエネルギーを使う。家に帰る途中の電車の中(普段は電車では寝ません)、そして家に帰ってから気がつけば寝てしまっていた。前の日に3時間半くらいしか寝てないこともあるのだが、それにしても怒り疲れた。


それでも今振り返ると自分が言い過ぎてはいないか、また自分が一生懸命取り組んできた学術的な「知」(論理、考え方、コミュニケーション能力など)を人を責めるために使ってしまったのではないかという罪の意識がある。それは大学以外の場で人を批判する時はいつもある。

組織や社会を理解して良くするために知を学んできて、実際にそれを使うことが、結果的には人をただ責めることにはなったのではないか。怒った直後も疲れるが、時間が経つと違うことで悩みが出てくる。