球団経営

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051104-00000016-yom-spo

野球協約183条があるから即アウトというのはどうも納得いかない。野球球団が親会社の広告媒体として機能していた時代は1つの資本が複数球団をもつことは健全な競争という点で、また八百長試合の懸念など問題がある。

だが今や野球球団が親会社の広告媒体であって親会社の所有物であるという時代なのか。一連の流れをみていても、明らかに野球球団はファンのものというより親会社のものである。
親会社の既得権、親会社から球団へ出向しているオーナーの既得権を守ることが第一になっているとしか思えない。

オーナー会議でも阪神球団の上場は「変な株主」に経営を左右される恐れがあるから上場反対のようなことが言われていた。だが現実には親会社の出向オーナーによって球団経営が左右されている。それと多数の株主によって経営者が任命されるのと、どちらが健全な経営・親会社ではなくファンの方を向いた経営になるかは明らかだと思うのだが。いち阪神ファンとしてはそう思う。


以下で木村剛氏が金融・経済レポート「フィナンシャル ジャパン」(2005/10/26号)で述べることの方が、感情的な上場反対論よりも筋が通っている。

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01 今週のコラム ----- 星野仙一氏は上場に賛成すべき!
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 最近の話題と言えば、村上ファンドによる阪神買収騒動。阪神タイガースという人気球団が絡み、シニアディレクターの星野仙一氏が「タイガースは1000万人のファンのもの。上場には反対だ」と明言したこともあって、「上場=ファン軽視」という単純化した論調が横行しがちだ。
 それにしても、あまりにも恣意的な世論誘導に呆れ返るほかはない。「会社は誰のものか」という所有権の議論と顧客に対する配慮の区別ぐらいはつけるべきだろう。誰がどう難癖をつけようが、商法上、「経営者を指名する権利を持っている」という意味で、「会社は株主のもの」である。所有権は株主が持っているのであって、顧客は重要な関係者ではあるものの、所有権を持っているわけではない。これは争いようのない自明の理だ。
 阪神タイガースのファンは、極めて重要な顧客であっても、株主ではない。したがって経営者を指名する権利を持っているわけではない。無論、顧客にソッポを向かれてしまえば、会社の価値は暴落するから、ファンの意向を無視すべきではないが、かといって、あたかも所有権を持っているかのごとき主張をすることは完全に誤っている。
 そもそも、村上ファンド(株主)vsタイガースファン(顧客)という煽り方自体が大間違い。対立構図を描くのであれば、村上世彰(新株主)vs手塚オーナー(旧株主)とすべきであって、どちらが顧客にとって好ましいかという議論こそが正論。これまで歴代オーナーのやり方を散々けなしてきたスポーツ紙が、村上ファンドを批判することによって、あた
かも現在のオーナーを擁護する構図になっているのは笑い話としか言いようがない。どうして現経営者を必要以上に擁護するのだろうか。
 少なからぬマスコミは、TOB(株式公開買い付け)のことを「敵対的買収」と否定的に捉え、ポイズンピルを「買収防衛策」と好意的に解説しているが、本来TOBには「敵対」という意味合いはない。「公開買い付け」というニュートラルな性質の単語である。また、ポイズンピルという言葉はまさしく「ポイズン=毒薬」であって、そもそもネガティブなニュアンスを含んでいる。つまり、言葉の扱い方が全く逆なのである。 
 要するに日本では、「会社は経営者のもの」という発想が強すぎるのだ。とはいえ、さすがに「会社は経営者のもの」というのは露骨で恥かしいので、「会社は顧客のもの」という異質の論理を持ち出すことによって、感情的に反発しているにすぎない。
 今回の阪神騒動はその典型例。村上vs手塚の戦いを、村上vsタイガースファンという構図にすり替えて時間切れ引き分けを狙おうとする狸親父たちの浅知恵が透けて見えてくる。
 「タイガースは1000万人のファンのもの」だと主張するのであれば、なおのことタイガースの所有権を久万オーナーではなく、1000万人のファンに捧げるべきである。そしてその方法は上場しかない。
 上場のことを、英語で「ゴー・パブリック」という。まさに、上場はタイガースを「パブリック=公」のものとする行為なのだ。自らの主張に忠実でありたいのなら、星野氏は上場に賛成すべきなのである。