郵政民営化

本日、郵政民営化法案が参議院にて否決された。
否決の模様はリアルタイムで見ていたが、早々に自民党内の反対が18を超えた。最終的には賛成108対反対125という大差となった。そして衆議院解散、9・11総選挙となった。改めて政策も最終的には政治プロセスの中で決まることを思い知らされた。

郵政民営化に関しては個人的には理念レベルでは条件付賛成である。その条件とはやるなら徹底的に民営化することである。中途半端に形だけは民営で実質官営となるなら市場において独占の可能性が出てくるため、それならば今のまま官営の方がマシだろう。そういう意味では中途半端な民営化になる法案ならプラクティカルなレベルでは反対すべきだとも思う。

郵政の民営化のポイントは2つあると考えている。一つは330兆もの資金を有する郵貯が市場でのマネーの流れに悪影響を与えているという懸念。もう一つは郵貯のローリスクで集められた資金が、財政投融資を通じ第3セクターに流れる等、公共事業の温床となっていることである。

前者に関しては、国内の三菱UFJ、みずほといったメガバンクの資金が200兆弱であることを考えれば、ものすごく大きな官営の金融機関が市場に存在していることは本来あるべき資金の流れを変えてしまっている可能性が高い。そして本来回るべきところにマネーが流れないことは、それだけ経済にとって負の要因となる。例えば不良債権やデフレの問題が叫ばれていた2001、2002年頃の状況では金融政策をつかさどる日銀から市中銀行にマネーが流れるものの銀行から融資先にマネーが流れず、国債に流れていた状況があった。生産性の高い分野にマネーが流れないこと、市場の資金流通速度を遅くしていたことは経済にとって損失となっていた。

後者についても前者との関係でいうならば、生産性の低い分野に公共事業として資金が流れたことや、資金の使い方にしても特定の集団の利益に資するだけの不透明な使われ方になっていたことは否定できない。今回の郵政民営化に反対する議員の少なくない割合が公共事業の誘導にともなう票を受けていた。事実、道路公団の談合に関して逮捕者が出たことと郵政民営化は時期的にも関係がある。逮捕者を出すことで公共事業に関係する(郵政民営化に反対する)議員をけん制する意味があるのだ。

少しまとめると、公共事業を誘導することで地方から当選する議員が与党にいて、与党であるから公共事業の口利きができるような古い自民党市場メカニズムをもっと徹底させることで古い自民党、官僚、業界のトライアングルからなる「開発主義国家」から「小さな政府」への移行を図ろうとする小泉自民党の対立と見ることが出来るだろう。


ここまでは経済的な見方による説明であるが、少し見る向きを変えると違うことが見える。公共事業に伴い当選してきている議員は地方から選ばれている。これは現在の自民党を支えているのが地方であるということとも符合する。しかしながら公共事業が経済的に無駄な、効率の悪いものであるといっても、その効率が悪いことで生き延びられている人や実際にこれまでのやり方で生活を営んでいる人がいることも事実である。そしてそのような生活を好き好んでやっている人ばかりではないということが政治社会的な問題となってくる。公共事業によって生き延びることもそう長くは続かないのだろうが、とはいっても今の生活を放棄するわけにも行かない。ここに「制度の歴史的経路依存性」、「制度補完性」の難しさがある。

それも踏まえて小活するなら、このまま地方では公共事業にすがった生活をつづけていくのか、それとももっと生産性の高い分野に移行するのか。言い換えると開発主義を延命させるのか、市場メカニズムをもっと効かせるのかという大きな選択があるように思う。さらに選択肢として市場メカニズムを効かせつつ、セーフティネットを張りポジティブウェルフェアを充実させたり地域社会の活動で補完するという「第三の道」があるのか。

個人的には第三の道を支持するし、いま一度自民党が長期にわたって下野する政権交代が必要かなとも思っているが、9・11の選挙結果を注目したい。(政権交代ということのおいてのみ民主党に期待。民主党そのものというよりも。)