サッカー

サッカー日本代表負けてしまいましたね。個人的にはベルギーに引き分けか負けて、ロシアに負けて、チュニジアに勝つと予想していて予選突破するとは思っていなかったので、まぁよくがんばったかなと思います。

でもワールドカップというと、日本戦よりも他の国の試合を見ている方が面白いですね。「なんでそんなパス通るの」とか「そんな体勢からシュート打って枠に行くかよ」とか。ついついTVで放送されているのを見てしまいます。

それで本論、日本戦が終わった後、「感動をありがとう」とか「夢をありがとう」とか僕には正直わからない。悲しくて泣いてる人とかTVに映っているけどあれもわからない。僕にはあそこまで日本代表というものに一体化できない。つまり、結局他人のがんばる姿に自分を投影しているわけでしょう。でもそれって、決して「自分が」がんばったわけではない。「他人」ががんばったわけだから。だから、「感動をありがとう」とか「夢をありがとう」と聞いてまず思ったことは、なぜ自分で「夢をみたり」「感動を与えるように自分ががんばる」ということをしないのか、ということ。全部受身なんだよね。それをオリンピックとか見ててもすごく感じる。

やっぱり「自分が」目標に向かってがんばらないと、オリンピックやワールドカップのときだけ、「日本」や「日本代表」といったものに自分を投影して、自分が何か成し遂げたかのようになっても―普段がんばってないから、そのときは一層入れ込む―、正直あんまり意味がないと思う。

ちなみに韓国対イタリアは審判の判定が韓国よりかなと感じたけど、それ以上に韓国の精神力のすごさを感じました。