読書すること

僕は本を読むのが好きです。本格的に読み出したのは大学に入ってからです。でも、高校時代は参考書の類をたくさん持っていて昔から活字を読む習慣はあったのでしょう。

何のために本を読むのでしょうか?それは、ただ好きだからでしょう。この本を読んだから役に立つとか、何冊読んだからどうこうというのでは無いように思います。逆にいうとなにかすぐの目的のために読むのは結構苦痛な気がします。全く興味のない本をテストのために読むようなものです。そういって本を読んでも身にならないでしょう。感動とかの快をともなって、理解は完全なものとなり身になるような気がします。

さきほど、本を読んでも何かの役には立たないと書きましたが、全く無意味ということではありません。やはり本を読んでいる人は違う。様々な本を読み長い間を経て、ようやく読書は「役に立つ」のではないでしょうか?具体的には、本は言葉でかかれています。本を読むことによって知っている語彙が増えます。言葉のいろんな使い方、文脈でのあり方が分かってきます。そしてそうして蓄積された言葉は思考の道具となります。言葉なくして思考はありません。言葉は思考の体系であると言ってもよいかもしれません。それほど、言葉と思考は深く関係しています。したがって、読書は思考と繋がっています。

読書は具体的な何かに役立つというよりも、長期でみて思考の体系に関わっているのでしょう。その証拠に優秀な社会科学者は驚くべき読書量を記録しているそうです。(猪口孝『社会科学入門』中公新書