Twitter使用後の変化(使用後1ヶ月半時点のまとめ)

Twitterを始めてしばらく経つが、はっきりした変化を感じている。

まずは同時間で起こっていることが以前よりも把握できるようになったことだ。最近の事例ではフォローしている人の発言で、電車が止まっていることや動きだしたことがかなり分かる。以前は電車が遅れていることは駅に行けば分かるが、それ以外の場所では分からなかった。今ではtwitter上で発言を追うことで、場所を問わず今何が起こっているか(ある程度)知ることができるので、予定や行動を変更することもできる。言い換えると時間を有効に使うことができる。

次にある事象に対する考えの幅を知ることができる。これも最近の事例では、相対的貧困率が示された日の数時間後には様々な考えが表明されて、やっぱり貧困率は高いんだという感想や貧困率の算出に用いられたデータソースに対する疑問、所得は低いが資産がたくさんある人は貧困なのか、などその日のうちに考えの幅を知ることができた。もちろん考えの幅を知るのに旧来メディアやブログでも可能だが、発表された瞬間の意見分布を知ることができたのはTwitterだからだと思っている。

さらには、以前なら本やテレビや、ブログを通じてしか伺い知れなかった人の考え・日常がタイムリーに知ることができる。そこにはタイムリーな事象への意見が示されたり、専門家同士の議論(のようなもの)がなされていたり、あとは普通にどこどこで何何しているという日常的なものもある。以前よりも人への物理的・心理的距離感が縮まったことは確かだ。

要は、Twitterというメディアを使いだしてから、メディアの本質である見る・聞く・話すという身体的な働きがさらに拡張された気分である。


ただ反面で、twitterを使うことで、「今」という時間に引き寄せられる傾向もあるので、まとまった時間ですることがしにくくなったことはある。具体的には本を読むスピードが落ちたことがある。Twitterの発言はそれこそ数分単位でどんどんなされるので、30分もするとかなりの量になる。それをキャッチしようとするとTwitterアプリを起動させる(自分の場合はほぼiPhone上で見ている)必要があるが、そんなことをしていると集中したまとまった時間がとれず、なかなか本が読めない。行為の速度の違いといってしまえばそれまでなのだが、本を読むときはTwitterをしばらく放置して、ある程度読書ができたら、今度はTwitterでの発言をなるべく遡って読むようにしている。


こうして書くと、Twitterは身体が拡張されて様々なことを知ることができるが、一方で全部キャッチしようとするのではなく、たまたま出会う発言を読む程度でちょうど良い。実際に自分が見ている発言は、たまたま時間が合ったときに見るほんの一部。そのような力を抜いたテキトーな接し方が適切だと思う。