コンサルタントに必要な能力

「○○コンサルタント」という言葉が増殖している。
ただ「コンサルタント」という言葉は、曖昧であり、その実態が何を指すのかは一義に決まらないことが多い。だからこそというか、曖昧な言葉であるが故に、「コンサルタント」という記号表現には様々な内実・記号内容を持たせることができ、しかも良いイメージを連想させる「何か」を持たせることができる。

「ビジネスコンサルタント」なら、ビジネス上の課題を戦略の策定や業務プロセスの改善等で解決してくれ、「ITコンサルタント」なら諸々のITを駆使して、ビジネス上の課題を解決してくれ、「システムコンサルタント」なら、ビジネス上の目標を達成するように情報システムの最適化を図ってくれる。また「キャリアコンサルタント」は、個人の価値観、希望収入、経験年数から、最適なキャリアや職業の選択に力を貸してくれる。

このように「コンサルタント」はそれぞれの手段を適切に用いて、(論理的に考えて)最適解を与えてくれる、ことになっている。しかしながら、「コンサルタント」という言葉が急に増えるのと合わせて、「最適解」を与えてくれる専門的な能力が増える訳ではない。つまり内実は別にせよ、コンサルタントという言葉のみが増殖し、一人歩きしている。


このことは簡単に理由がつく結果といえる。何せ「コンサルタント」になるために必要な資格はない。「公認会計士」「中小企業診断士」「システムアナリスト」「プロジェクトマネージャー」等々、「知的労働者」というイメージを補完してくれるような資格が、必要な資格として言われることもあるのだが、絶対に必要というわけではない。「○○コンサルティング」など、それらしい社名を持った会社の社員になればよい。ただそうした会社にせよ、社名は「自称」のようなものだから、もっというなら、個人が自称で「温泉コンサルタント」などと名乗るのとは、五十歩百歩で、程度問題であろう。

要するに「コンサルタント」という言葉は内実は別にせよ、良いイメージを持たせやすい、つまり使って損はない言葉なのだが、言い換えれば「うさん臭い」言葉なのである。もちろん中には、イメージを地でいくような人もいるだろうが、極々限られた人数であろう。ほとんどは「コンサルタント」という名前にすがって仕事をしている。


ただずっと名前にすがってやっていける程、ビジネスは甘くないので、専門能力の不足をどうやって補うかというと「長時間労働」である。クライアント企業のビジネス上の課題を解決するといっても、クライアントとコンサルタントでは、頭の良し悪しが決定的に違うこともない(同じ人間がやることなのでほとんど変わらない)ので、クライアントより働くことで「なんとかしようとする」。さらには論理的うんぬんではなく、行き当たりばったりでも「長時間労働」でなんとかする。

それで長時間労働の結果、「なんとかなる」場合ならよいが、なんとかならない場合も多い。いわゆる失敗プロジェクトである。失敗プロジェクトの方が、成功プロジェクトよりも多いことを考えると、「コンサルタント」はその使命である「課題の解決」に失敗することの方が多いのである。本稿の最初に「コンサルタント」のイメージについて書いたが、結果としては課題を解決できなかった「コンサルタント」が多いということだ。


失敗しても尚、「コンサルタント」は、「○○コンサルタント」だと名乗ることができる、不思議な職業である。それもそのはずで、先ほども書いたように「コンサルタント」というのは自称のようなものだから、自分で名乗っている限りは「○○コンサルタント」なのである。

では逆に「○○コンサルタント」ではなくなる時はどういったときだろうか。それは「コンサルタント」の内実とイメージのギャップに幻滅し(幻滅するだけの敏感さを保っていて)、名乗るのを止めた時や、加齢等の理由で「長時間労働」に耐えるだけの体力が無くなった時などが考えられる。

イメージと内実のギャップに幻滅したり、罪悪感を感じない、またそういう感じを覚えても「コンサルタント」という名前で金を稼ごうと考えるだけの「図太さ」、流行の言葉でいうと「鈍感力」のある人間や、「長時間労働」に耐えるだけの体力がある人間(実際に「コンサルタント」には比較的若い人が多い)が「コンサルタント」として生き残っていけるのである。

つまり実際に「コンサルタント」に必要な能力は、イメージが喚起するような「論理的思考力」「問題解決能力」というよりも、「鈍感力」や「体力」だといえる。