第十二回

3 仮説の提示

 ここまでの議論(1節、2節)ではパットナムの研究に対して検討を加えてきたが、それではどのような方向で実証分析をしていけばよいのだろうか。本研究では犯罪とソーシャル・キャピタルとの具体的な関係を探るのだが、先ほどのパットナムの研究枠組みに関する考察を踏まえた上で具体的に検証する仮説を提示するために、パットナムの別の著書であるBowling Aloneを検討する。
 まずパットナムはBowling Aloneでアメリカ国内のソーシャル・キャピタルが減少トレンドにあることを示す(第1部、第2部*1)。その原因としては、社会内の移動性が高まったこと、従来ソーシャル・キャピタルを比較的保持していると思われていた女性が社会進出したこと、テレビをはじめとして情報技術が進展したこと、世代効果を挙げている(第3部)。そしてその結果、ソーシャル・キャピタルの減少が様々な社会のパフォーマンスに悪影響をあたえており(第4部)、犯罪に限って言うと犯罪抑止効果を弱めることを示している(第4部18章)。

 Bowling Aloneは、Making Democracy Workで最終的に制度パフォーマンスに重要な効果を果たすものとして示されたソーシャル・キャピタルアメリカ国内ではどうなっているのかを探る試みであるが、方法としてはMaking Democracy Workで示された歴史分析や事例分析は後景に退き数量的な相関を求める実証的な方法を取っている*2
 Bowling Aloneに関しては様々な議論があり、とりわけ情報技術がソーシャル・キャピタルに与える影響については、情報技術がソーシャル・キャピタルを増加させるとみる立場がある一方で減少させるという立場もあり結論は出ていない*3
 そして本稿の分析につながるように具体的に問題にしたいのは、パットナムが犯罪の指標としているのは殺人やケンカであるということだ。つまりパットナムはソーシャル・キャピタルを殺人やケンカに効くものとして扱っているのだが、むしろソーシャル・キャピタルは殺人やケンカという重罪よりも、窃盗などの微罪に効果があるのではないかと思っている。このことについて以下述べていく。

 まず日本の犯罪統計を大きく2つに分けるなら、殺人や強盗といった暗数の少ない凶悪犯罪と、窃盗といった暗数の多い微罪とに分けることが出来る。日本では近年刑法犯認知件数が増加の一途をたどっていることをもって「犯罪の凶悪化」や「犯罪の急増」が言われているが、もっとも暗数の少ない殺人で見てみると増加傾向は全く認められず(むしろ減少傾向である)、犯罪が急増して見えるのは自転車などの窃盗という微罪を警察が認知しはじめた結果である。とりわけ90年代後半に起こったストーカー殺人事件など「言っても動かない警察」を批判する世論が高まり、それをうけて警察が「前さばき*4」をやめた平成12年(2000年)には刑法犯の認知件数が統計的にジャンプしている。そして当然のことながら、認知件数が増加すると同じ検挙数であったとしても、検挙率は減少していく。事実、近年検挙率の低下をもって警察力の低下が言われている。そのカラクリとして警察は殺人をはじめとした凶悪犯には捜査に力を入れているのだが、従来なら「前さばき」の結果認知件数に入っていなかった微罪が認知され、そういう微罪にまで限りある捜査の力を注げないし、また注ぐのは効率が悪いことから、認知件数だけが増え一見すると捜査能力が変わっていなくとも検挙率は落ちるのである*5。つまり近年の犯罪件数増加や検挙率減少の正体は微罪の認知件数増加だといえる。

 また少し話しは変わってしまうが、近年指摘されるのは、救急車の出動回数が増えたことである。およそ毎年数%の割合で救急車の出動回数は増加の傾向にある。その理由として従来であれば救急車を呼ばなかった軽い病状でも救急車がよばれること、また救急車で運んでもらえると優先的に見てもらえるので「タクシー代わり」に使うというケースもある。その結果、本当に必要な時でも救急車が出払っているというケースもあった。
 なぜ必要は無くとも救急車を呼ぶのかを考えると、ひとつは一刻も早く誰かに来てもらい不安を取り除きたいということがあるのだが、不安感が増すのも地域のつながりによる情報収集能力が低下しているということが考えられるだろう。身近に相談できる相手が居ないという可能性である。

 ここまでの議論で犯罪の増加は微罪が増えていること、社会ネットワークによるクチコミ情報収集の低下の可能性をしめしてきたが、ひとつの仮説を提示できると思う。それは「人々の信頼・関係などのソーシャル・キャピタルが効果を持つのは凶悪犯罪というよりは窃盗などの微罪である。」というものだ。
 殺人や強盗に対しては物理的な力で抑止するしかなく、それよりも人々のつながりが犯罪抑止に効果を持つとすると窃盗などの軽微な犯罪の方であろう。お互いに信頼した知り合いの仲で微罪を犯すことは利得に対して費用が大きすぎ、またネットワークが密なところに知らない人物が入ってきても目だってしまうため犯行に出にくい。
 一方、殺人は相手に恨みなどがあるが、その相手と関係を続けなければならない場合に起こる。逆にいうと、殺人というコストを払ってまで人間関係を清算したいときにしか起こらない。事実、犯罪白書を見ると分かることだが、いわゆる「通り魔殺人」は全国でも年間数件しか起こっていない。そのインパクトの強さ、珍しさからマスコミで報道されるため頻繁におこっているように感じるのだが、多くの殺人は顔見知りでその関係を清算したい・壊したいというときに起こる。そしてそうした殺人も半分以上は殺人未遂に終わっている。少し観点を変えると、「通り魔殺人」のようなマスコミ報道がインパクトを持つのも社会ネットワークによるクチコミ情報が弱くなっている可能性を示すものである*6
 以上より、合理的に考えて犯行に出られなくさせるソーシャル・キャピタルが重要であり、とりわけ微罪を犯すことは割に合わないためにソーシャル・キャピタルが重要となる。このことから「ソーシャル・キャピタルは凶悪犯よりも窃盗犯に有効に作用する」という仮説を「仮説1」として以下の章にて実証分析してみよう。
 
 また仮設1が支持されソーシャル・キャピタルが犯罪防止、とりわけ微罪に対して効果があるとしても、ここで効果の限界を考えることは出来ないだろうか。BOWLING ALONEでは殺人やケンカという犯罪を扱っていて、いわばリアルスペースでの犯罪に焦点が当てられている(Putnam 2000: chapter18)。そして情報化の影響もテレビの影響に焦点が当てられており、インターネットの影響は情報化の効果にさほど入っていないように思われる。
 つまり問題にしたいのは、ソーシャル・キャピタルは理論的には地域社会など社会ネットワークを基盤にしていることから、そうした社会ネットワークの範囲が及ばないところではソーシャル・キャピタルが有効に機能しないのではないか、ということである。具体的にはインターネット上の(サイバースペースでの)犯罪はグローバル・リージョナルなレベルでしばしば展開され、地域社会といった空間上の縛りを受けにくい。またアンダーグラウンドで起こる犯罪では、やはり一般的な社会ネットワークが入り込みにくいことから犯罪防止機能に限界があると考えられる。
 そういったソーシャル・キャピタルの効果に関してその限界も考えられることから、ここでは仮説2として「ソーシャル・キャピタルは生活社会で生じる犯罪に対しては有効に作用するが、サイバースペースアンダーグラウンドで生じる犯罪には有効に作用しない」という仮説を検証する。
 議論をまとめると、仮説1が犯罪の種類でソーシャル・キャピタルの機能を検証するものであり、仮説2はリアルスペース/サイバースペース、日常/非日常という空間区分でソーシャル・キャピタルの機能を検証するものである。
 これらの仮説を次章以降の実証分析で検証する。次の第5章では、第6章の実証分析に用いるソーシャル・キャピタル・インデックスの作成方法について、データや適用範囲に関して議論を整理した上で、実際にインデックスを作成する。

*1:以下の第1部、第2部、第3部、第4部、第4部18章というのは、BOWLING ALONEでの章立てである。

*2:文化人類学者の渡辺靖アメリカの名門家族であるボストンのバラモンと移民家族であるボストンアイリッシュを事例にしてフィールドワークをし、両者の文化変容を分析している。コミュニティをまとめる役割を果たしていたそれぞれの文化が変容し、両者の文化的規範が弱まったことを示している。この結果を援用するとアメリカでのソーシャル・キャピタルが変化している可能性がある。その変化をパットナムの分析はソーシャル・キャピタルの減少として捉えたことも考えられる(渡辺 2004)。

*3:その理由については第2章3節で、ネットワークの強弱・密度・範囲が関係しているのではないかと述べた。

*4:さほど重要ではないと考えられる犯罪は実際に起こったとしても、限られた警察力の有効利用のために正式に受理せず認知件数に入れないことを「前さばき」という。

*5: 以上で述べた日本の犯罪状況の統計分析は主に河合幹雄の研究の第1章に負っているが(河合 2004)、データそのものは犯罪白書にあるため、白書を丁寧に読めば分かることでもある。

*6:もちろんマスコミ報道のインパクトとミニコミの衰退との関係はメディア研究の立場から厳密に示される必要がある。本稿ではそこまで踏み込まないためあくまでも可能性にとどめる。