「国家」論が盛ん?

その後、またまた久しぶりに多摩地区最大のオリオン書房に行く。仕事が始まってから本屋に行く機会も少なくなり、どんな本が最近出ているのか分からなかったけど、今日感じたのは「国家」について書かれた本が多いということ。国家の品格・存亡・崩壊など。

それだけ国家に関する本が出るということは興味があるが、その中身にはあまり興味が無い。「国家」という近代的な概念を守るために、「古来」「伝統」「美しさ」「品格」という概念が持ち出される。改めて言うまでもないが、「国家」が永劫続いてきたかのように書くことそのことが、逆に「国家」という近代的概念が揺らでいることを示し、何より「国家」の「伝統」を再創造することはそれら著作の筆者の意図に反し「近代的」な試みである。

その中でも『国家の品格 (新潮新書)』という本がとりわけ売れているとのことで、試しに立ち読みで読んでみた。一言でいうと国家についての考察というより、「反知性的」な「グローバリズム」批判、「市場原理主義」批判の書である。

題名とは異なり、根本的な国家に関する考察はあまり無い。そもそも「国家の品格」についての明確な理論的・実証的定義も無い。ただ単に感情的に、筆者の言葉で言えば情緒的に書いている。段落間の繋がりも明確ではなく、筆者が思う市場原理批判・近代批判に関係しそうな小論が集められている印象。自分勝手に「市場原理主義」・「近代主義」を作り上げ、それに対し自分勝手な「世界に冠たる日本の美しさ」を対峙させる。

数学者であるなら、もっと厳密に概念定義・論理構成しなくていいのかと思うが、この本が売れる理由はわかる。小難しい理論への侮蔑を表し、適当に敵(市場原理主義者など)をつくって攻撃する。そして何よりわかりやすく書く。

言っていることに目新しさはまるで感じないが、この本が売れる構図は、竹内洋が『丸山眞男の時代―大学・知識人・ジャーナリズム (中公新書)』で描いた構図に近い。二流のアカデミシャンが知性・教養を攻撃し、経済的な成功をもって、果たしえなかった学術的な成功を埋めるという構図である。

売れる理由は分かるが、個人的には身銭を切って買おうとは思わなかった。『日本の歴史』の著者と同様、個人的な挫折経験から「素晴らしい日本」という国家を勝ってに創り上げ、それにすがっているのは誰よりもその筆者だから。