プロフェッショナルになるということ

小さいときから将来なりたいものは「プロ」だった。

小学校卒業時には「建築家」、中学卒業時には「医者」、高校卒業時には「弁護士」、そして大学卒業時には「研究者」。

「プロフェッショナル」の条件は①肩書きではなく自分の個人名で仕事ができる②自分の専門性で生活できる(かつその専門性の限界を知っている)③職業倫理(プライド)などがあるだろう。

しかしどの道にせよ「プロ」への道は険しい。いくら「好き」でも、ただ「好き」なだけなら大学生のサークル同様アマチュアと変わらない。例えば映画好きで週に10本みたとしても年間500本程度の映画しか観ることは出来ない。その程度なら一般の中ではたいした数字だが、映画好きの範疇を出ていない。「プロ」ではない。(中谷彰宏によれば「プロ」になるには月100本程度見ることが必要らしい。真偽は不明だが。)

それほど「プロ」になるのは「異常なこと」であり、その異常なことを10年以上続けたひとが「プロ」になりえるのだろう。

18歳でプロ野球選手になっても野球づけの生活を10年くらい続けているし、弁護士になるのにも司法試験を7回(平均受験回数はこのくらいだったはず)で受かって司法修習所に通っていたら10年くらいは法律づけの生活を送っている。
研究者でも学部、修士、博士といってたら10年くらいは経つ。

やはり単に「好き」なだけでは覚束ない。研鑽が生活となること。そのことを中心に10年以上生活する覚悟が必要。

そして何より神からcallがあった者のみが、「好き」をcalling(天職)にできる。