本の実地棚卸

2008年をリスタートの1年として考え、その具体的なアクションの一つとして、溜まった本を売ることにしました。

あとは本が増えすぎて、いよいよ本棚に入りきらなくなったことも現実的な理由の一つ。本棚は180センチ×130センチの大きさで800冊くらいは入るはずだが、今は入りきらない本が本棚の前に平積みになっておりスペースを取りすぎるのだ。


それで昨日・本日と、本の要・不要を整理して並べ替えて、良い機会なので所有物をアマゾンに登録してリコメンド機能を精緻化してという作業を行った。9時間くらいかかりました。

結果としては、不要な本(=売る本)が250冊程度、残す本が700〜800冊くらいか(多すぎて分からないが、整理後も本棚に余裕は無い)。売る本はさすがに全て店まで持っていけないので、出張買い取りを予約して来週末に来てもらうことにした。


そこで、本を一冊ずつ整理して分かったことは2つあるが、興味深いのは後者の方である。


1.要・不要の決め手は買った時の値段
買った時に新品か、それなりの値段で買った本は、買った時にそれなりの理由があり今でも残しておきたいと思わせる本である。
その一方で、買った時の値段が安い(100円等)と、当時もあまり読む理由は無かったのだが、安いからとりあえず買っておいた本で、結局読まなかった本が多い。

2.買った本の内容はその当時の自分の問題関心と一致していること
買った本の発行年や買った時期を思い出すと、自分の問題関心と一致していることに気がつく。
具体的には、2000年から2001年に買った本は、政治・経済・経営・社会・歴史・IT・バイオ・自己啓発・・・と、内容が多岐にわたっており、実際に大学での専攻をどれにしようか考えていた時だ。
2001年から2003年にかけて買った本は、経済系が多く、公共政策を専攻として不良債権問題、とりわけ不良債権が銀行貸出に与える影響や、マネーの流れがマクロ経済に与える影響を研究していた時期に重なる。
2003年から2006年頭にかけて買った本は社会系が多く、情報化によるグローバル化を与件として、安心・安全に象徴されるセキュリティと社会関係資本の関係を研究していた時期に重なる。
2006年から2007年にかけて買った本は、社会系を中心にしつつも経営、IT、仕事法と再度分散する傾向にあり、社会人として迷いつつ方向性を模索していた時期だ。

このように買った本というのは、当時の問題関心を映す鏡である。


さらに発展させる形で、ここで言う問題関心とは何かを説明すると、自分が「問題としてのリアリティ」を感じる対象への関心である。換言すると、リアリティを感じない問題は、自分にとって「問題」ではないのだ。
具体例を挙げて説明すると、その時期毎にいくつも問題はあるのだが、自分が「問題としてのリアリティ」を感じたのは、不良債権であったり、セキュリティであったりで、当然自分にとってリアリティを感じない問題もあった(例えば、景気対策であったり、ポストコロニアルな視点での外国の文化研究など。もちろん、それを「問題」と感じる当人にとっては、そうした「問題」にリアリティを感じてはいただろう。)。ただ自分の問題関心の抱き方を振り返ると、その当時の世の中での重要な問題について、少し時期を先取りする形で興味をいだくようである。

リスタートの一環として、また実用の要にせまられて行った本の整理を通じて、「具体的に買う本を見れば当時の自分の問題関心が分かる」、そして「自分のアンテナにどういう対象が「問題」として引っかかるのか」ということに改めて気付いた。